自然農勉強会

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毎年冬の1月~3月は、月に一度勉強会をやっています。
自然農グループの人が集まっての、勉強会ではありますが、
特に自然農の勉強をするわけではなく、何でもテーマにします。
もともと僕のように、「問題を起こさない生き方としての自然農」
から自然農を始めた者にとって、大切な勉強会になっている。

今回も石黒さんが、「さとり」について書いた本の中から、
一章をコピーして配布し、これを皆で話し合いました。
参加人数は10人ほどで、農作業の勉強会より少ないですが、
長年一緒に自然農をやっている仲間で、話の内容は濃い。
今回の「さとり」の話しも、熱い議論になりました。

午後1時から始まって、最初の1時間ほどでコピーを読み、
それから意見を出し合って、自分の感想や考え方を話します。
ある一瞬に垣間見る「さとり」から、日常の「さとり」へ繋げる、
そのキーワードを求めて、意見交換をしたのかも知れません。
悟ってしまえば終わるのではなく、悟りから始まって、
充実した人生を送るための、道筋を考えたと言ってもいい。

3時過ぎに休憩して、持ち寄りの干し柿やみかんを食べ、
暮らしの情報交換をして、頭を一度リラックスさせる。
それからもう一度、終わりの5時まで話し合うのですが、
いつも何か結論があるわけでもなく、ただ方向性を確認する。
それでいて多くの場合、自然農に繋がるものがあるから、
不思議と言えば不思議だし、自然農の奥深さを感じるのです。

悟りというものは、何か決まった形があるわけではなく、
百人百様の人が、百様の考えと判断で見えてくるものでしかない。
だけどこの百様の判断にも、共通した判断基準があるわけで、
それを方向性と考えれば、何処へ向かうのかが鍵になってくる。
なるべく質素に、自分でコントロールできないものは控える。

例えば「妙なる畑に立つ」ことを唱える、自然農の教えは、
何も知らずに立っただけでは、何をすればいいかも分からない。
だけど自然農の心を学び、化学肥料を使わず虫や草を敵としない、
何も持ち込まず持ち出さない、不耕起の農を学んでいる人は、
田畑に立つことで、自分が何をすればいいか自然に分かる。

結局のところ、自然農を理解するとは悟りを開くのと同じで、
命の発露に関する理を知っていれば、自然に知れるのでしょう。
言葉を使わないと伝わらないことがあるから、言葉で学びますが、
言葉では分からないことは、身体知を使って知るしかない。
自分の五体と五感を使って、理屈で学んだことを行動するとき、
自ずから何をすべきか分かるし、そうでないとわからない。

こんなやりとりを続けながら、時間になって終わりますが、
もちろんこんな勉強会で、「さとり」が身につくわけではない。
ただどうすればいいか、具体的な道筋だけは見えてくるので、
僕らはあらためて、そのように生きることで何かが掴めるのです。
一歩進めたのかどうか、これを繰り返しながら春を迎えて、
雪解けの田畑に立ったとき、何をすればいいかが分かれば良し。