出会いがない?

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少子高齢化が問題視されていますが、高齢化は長寿の証ですから、
これはおめでたいことであり、問題であるはずがありません。
問題は少子化、いわゆる新しく生まれてくる子が少ないってことで、
日本ではこの問題に対する取り組みが、まだまだ遅れているようです。
若い人の結婚率が減っており、出生における母親の年齢を見ても、
40年前は20代後半がピークだったのに、今は30代前半がピークです。

もっと詳しく見ると、30代40代の出生数は増え続けているけど、
40年前には圧倒的多数だった20代の出生数が、激減しているのです。
日本の若い女性は、どうして子どもを産まなくなったのかを考えると、
統計的に不安要素を見た場合、経済的な要因が圧倒的に多い。
ついで仕事と両立の難しさが挙げられていますが、これも経済で、
出産子育てする女性への経済援助があれば、ある程度は解決するはず。

ところが日本の子育て援助は、GDP比率で見るとイギリスの1/3で、
スエーデン、フランスなどと比較しても、圧倒的に少ないのです。
しかもこれらの先進国では、法的結婚の形式を取る必要もなく、
たとえ単身でも子育てをする人には、手厚い援助があると聞きます。
子育てする人を援助する必要性は、少子化以前から言われていたのに、
問題が大きくなった今でも、なかなか改善されていません。

もちろん政治の動向に関係なく、若い人が恋愛して一緒に暮らし、
子をもうけて育てれば良いのですが、これがまた難しいと言われている。
恋人がいない20代30代の男女に、その理由を尋ねた調査結果で、
まんべんなく圧倒的多数の人が、出会いの場所がないと答えています。
これだけ人口密度の高く、多くの人がすれ違って暮らす国で、
出会いの場所がないとはどういうことか、不思議な気がします。

それでは40年前には、どれほど出会いの場所があったのでしょうか?
40年前と現代の暮らしを比較して、すぐに思い浮かぶのは、
社会も家庭もプライベートを重んじて閉塞され、公共の場を失って、
個々人が檻の中に閉じこもって、社交性を失ってきていると言うことです。
具体的な出会いの場所と言うよりも、すぐそばに気になる人がいても、
どうしたら良いか分からないという、コミュニケーション能力の不足です。

僕らが若い時代には、SNSもなかった中で楽しみを追い求め、
具体的に恋人を得るか得ないかが、大きな分岐点になっていました。
だから失敗してもめげずに、自分に振り向いてくれそうな異性を求め、
祭りでも青年会でも町内会でも、魅力的な人を探していた。
だけど現代では、恋人がいなくても楽しみはいろいろあるので、
気になる人がいても、声を掛ける前から難しそうだとあきらめている。

つまり「出会いの場所がない」のではなく、チャレンジしようとしない、
そもそもコミュニケーション能力がないので、どうして良いか分からない。
かくして社会には出会いを求めて、数多くの婚活倶楽部が生まれますが、
チャレンジする自覚のない人には、大した効果もないのでしょう。
相手の見えないSNSや仮想空間ではなく、生身の人間同士で向き合い、
意思疎通ができれば、恋愛は今でも楽しく魅力的な出来事なのです。

教育においても大切なことは、学力の向上ばかりではなく人間力
生身の人間同士で相手を理解し、自分を理解してもらう能力でしょう。
さらには自分とは違う相手を受け入れ、お互いに認め合うことで、
社会が成り立つことを学び、豊かな人間性を培っていくなら、
どんな場所にいても恋人を得ることはできるし、結婚子育てもできる。
そこに経済的援助があれば、少子化は解消すると思うのですが・・・