そしてマドンナ

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生涯において、国内アーティストの公演は何度も行ったけど、
海外アーティストとなると、マドンナ公演しか行ったことがない。
そのマドンナも、今では58歳になるようですが、
彼女の生涯を通した活躍には、多くの点で驚かされます。
35ドルを手に、ひとりでニューヨークへ行った話しは有名ですが、
それ以外にも数多くの逸話を、彼女はきらびやかにまとっている。

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「生き残るため、成功するために必死だった。
 とてもハードで孤独な日々だった」

「レイプされたときの経験で、ずっと賢く抜け目なく
 うまく世渡りができるようになった」

「私は大胆だった。生き延びて成功するためにがむしゃらだった。
 でもすごく辛く、さびしくて、前に進むために毎日自分に挑戦していた」

「母がいないなら、あたしは強くなる。
 自分のことは自分でやる、と幼い頃に決意した」

「私は絶対につぶされずに生き残る人間だもの。
 私はゴキブリみたいな人間よ。退治するなんて、できっこないわ」
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ここまで覚悟を決めての、ニューヨークでの暮らしだったので、
彼女の自立心の強さや、人に頼らない態度は相当なものだったようです。
この時代は女性や子ども、いわゆる弱い人々の地位はとても低くて、
何のつてもない若い田舎娘が、一人で暮らしていくだけでも大変だった。
でも彼女はくじけなかったし、自分を客観的に見る頭脳もあって、
したたかにひたすら成功を目指し、今の地位を獲得したのです。

マドンナは多くのシーンで、遺憾なく才能を発揮していますが、
彼女が最初に頭角を現した音楽シーンでは、驚くべき成功を収めています。
「ライク・ア・ヴァージン」の世界的ヒット以来、「ホリディ」、
「クレージー・フォー・ユー」、「イントゥ・ザ・グルーヴ」、
「パパ・ドント・プリーチ」、「ライク・ア・プレイヤー」、「ヴォーグ」、
「ミュージック」、「ハング・アップ」と枚挙に切りがありません。

僕もマドンナのアルバムは、4枚買って持っていましたが、
それらは横浜時代に、どこへ出かけるにも車の中で聞いていました。
単に時代に結びつくだけではなく、あきらかに優れた曲だったし、
聞いているだけで心が安らぐような、完成度の高いものだったのです。
それを単なる名曲に終わらせず、世界的ヒット曲にする点でも、
彼女の才能は抜きんでていたし、ビジネスとしても成功させている。

3~5年に一度、大がかりなワールドツアーを仕掛けて成功しているし、
1985年の世界的な「Live Aid」以降、多くのチャリティにも参加している。
2005年に開催された、スマトラ沖地震津波被災地を救おうとする、
Tsunami Aid:A Concert of Hope」では、ジョン・レノンのイマジンを歌っていた。
すでに亡くなっているマイケル・ジャクソンとは、同じ年で仲も良く、
デュエットで歌っている曲もあって、世界的スターとの繋がりは数多い。

僕は男女平等を考えるときに、どうしてもこのマドンナを思い出す。
強くしっかりと自分の考え方を持ち、誰にも頼らずに自分の生き方を貫き、
それで成功して、社会的地位も築いて様々な慈善事業も手がけている。
これが男であれば、文句なく絶賛されているだろうことなのに、
彼女の場合は成功と共に陰口も多く、幸せと言えるのかどうか分からない。
だけど少しでも長い目で見れば、マドンナはやはり時代を超えて人間的なのだ。