ジョン・レノンの命日

イメージ 1

12月8日は、日本が真珠湾攻撃をした開戦日でもありますが、
僕にとっては、ジョン・レノンの命日といった方が実感があります。
中学高校と多感な時期に、ジョンの生き方に共感したことから、
その後長い間、と言うよりは今もずっと影響を受けている。
楽家でもなければ芸術家でもない、ただ自然農を生き方として、
淡々と仲間や家族とともに生きている、このような今もまた。

人間とは何かと考えるときに、どうあるべきかと考えるなら、
ビートルズの歌詞や活動がヒントになって、考え方を決めてきた。
その中でもジョン・レノンは、あまりにも大きな影響を受けて、
学生時代の僕の頭の中では、大事な場面になればビートルズを口ずさむ。
社会に対する自分の立ち位置や、うまくいかないで悩んだときは、
ジョン・レノンの歌詞が、道しるべになってきたと思っている。

学生の時に新宿を歩いていて、ジョンが殺された新聞号外を見たとき、
僕はどう反応して良いか、頭の中が真っ白になっていた記憶がある。
でも当時はまだ、自分でよく分かっていなかったのかもしれない。
人生とか社会とか、人の生き死にとか何も分かっていなくて、
歌の歌詞で覚えたことを、自分の感覚で現実に置き換えていた。
だから地に足がつかなくて、雲の上を歩いていたようなものだった。

逃げるように沖縄へ行って暮らしながら、うまく未来が見られず、
さらにどうしようかと考えたときに、アメリカ行きを思い立つ。
どうすれば良いか分からないから、アメリカへ行って暮らし、
中米を放浪しているうちに、自分が何をしているかわからなくなった。
そして一時帰国のつもりで東京に戻ったとき、自分が何を求めているか、
突然気がついて、それからは日本を出て暮らそうとは思わなくなった。

バブルの時期はしばらく就職して、蓄えたお金で田舎暮らしを始め、
少しずつお金に頼りすぎない暮らしを、身につけてきたのです。
お金は必要だけどたくさんは要らない、と言う考え方だって、
ジョン・レノンに教わった気がするけど、定かではありません。
生き方としての自然農に出会ったことで、生きる方向性も定まり、
生き方の線上で妻と出会って、子も授かることができたのです。

自分の人生を、ジョン・レノン抜きに考えることはできないけど、
もう彼は過去に亡くなっているのに、どうして影響を受け続けるのか。
人はどのように価値観を持ち、どのように人生に向き合うのか、
中学高校の頃から、僕の本質は何も変わっていないのかもしれない。
あの頃の愛のままに今を生きて、あの頃の価値観のままに暮らし、
ただ熟練して動じない分、暮らしを楽しめているのでしょう。