ジェンダーからDVを考える

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NPO「Nプロ」(ひと・みち・まち)主催の「DVの無い社会を目指して2016」

日本でもジェンダーが問題視されるようになって、久しいですが、
必ずしも良い変化は生まれておらず、もどかしい面が多くあります。
僕なんかはジェンダーなんか、あまり関係ないつもりでいたのに、
姫が成長するにしたがって、気になる変化も見られるようになりました。
その何が問題なのかを知っておかないと、振り回されそうなので、
高岡でNプロ主催の「DVの無い社会を目指して2016」、に参加してきました。

講師に、NPO法人SEAN(Self-Empowerment Action Network)から、
教育部門「GーFree」代表の、遠矢家永子さんをお迎えしてのイベントです。
単なる講演会ではなく、午前10時から午前の部と午後の部があって、
それぞれ課題をもった講演と意見交換があり、終わりは16時30分の長丁場。
午前が「DVの背後にあるジェンダー」の話しで、その後意見交換して、
午後が「加害者にも被害者にもさせないための予防教育」と意見交換です。

我が家の姫も保育園に通うようになると、外からの影響を受けて、
「女の子はこう、男の子はこう」と決めつけることが多くなりました。
僕も妻もそうした決めつけは、あまり感じない方だと思っていたのですが、
姫の様子を見るにつけ、どこまで受け入れていいか気になったのです。
そこで僕は午前10時から午後4時半まで、昼に少し抜けはしましたが、
ほぼ全部に参加して、貴重なお話をうかがってくることができました。

僕なりの理解を纏めると、世の中の多くの情報が女の子と男の子を区分けし、
それに晒されていると、いつの間にかおきまりの価値観が植え付けられる。
それが何故いけないかと言えば、子どもたちが自由な意思決定ができなくなり、
親や周囲の人に求められるままに、自分を矯正してしまうからです。
自分はかわいい服を着たいのに、男の子だからと強そうな服を着せられると、
やがて本当はイヤなのに、強そうな服を当たり前のように着るようになる。

この場合僕らは、男の子だから強そうな方が良いだろうと決めつけますが、
それが本人の意思でない場合に、ねじれた感情が巣くうことが問題です。
逆も然りで、力強いアスリートを目指したい女の子だった場合に、
かわいい服装や仕草ばかり求めては、本人には苦痛となってしまうでしょう。
つまり肝心なのは、本人の自由意志で決めたことなら良いことでも、
いくら良かれと思っても、それが本人の意思に反することであれば困る。

ジェンダー問題はあくまでも、結果として出てきた事態そのものではなく、
他者から強制された価値感か、本人が自由に判断した価値感かによるのです。
そのように理解できれば、たいていのことはその場で判断できるし、
同じ結果の選択でも、良い選択の場合と悪い選択の場合があると分かります。
例えば女の子は優しいのが当然で、男の子は逞しいのが当然となれば、
成長した男性は、女性を庇護する代償として女性には従順さを求めるのです。

こうした決めつけが思うように行かないとき、男は暴力的に解決を試み、
これが男女のDVになるのに、男性も女性も問題の本質に気づかない。
男性も女性も自分だけの価値観から抜け出せないと、壺に陥りやすいので、
まずは誰かに話して相談するなり、違う価値観に晒すことが必要になるのです。
そのためには幼児期や小学生の頃から、何がジェンダーかを知るために、
学習プログラムに参加することは有用なので、こうした機会を増やしたい。

さてこうして得た前向きな学習と同時に、一つ恐ろしいことも知りました。
それはたぶんインターネットやSNSによる、近年の環境がもたらしたもので、
今の小中学生は10年前に比べて、女性性の商品化を受け入れているのです。
アンケート結果では、以前は「嫌悪感」や「人権侵害」を感じた女性ヌードが、
「仕事の一つ」や「表現の自由」と理解され、否定感がなくなっている。
この社会現象が、果たして本当に子どもたちの自由な意思なのかどうか・・・