畑も初夏の賑わい
晴れでもなく雨でもなく、梅雨は明けたんだか明けていないんだか、
ちょっと農作業をすると、汗だくになる蒸し暑い日が続いています。
人間にとっては過ごしにくい、暑くて湿度の高い日々ですが、
農作物などの植物にとっては、願ってもない成長の季節でしょう。
僕が手がけている田畑でも、米も野菜も雑穀もよく育っており、
来週から16日間旅に出る僕は、手入れの心配をしています。
ちょっと農作業をすると、汗だくになる蒸し暑い日が続いています。
人間にとっては過ごしにくい、暑くて湿度の高い日々ですが、
農作物などの植物にとっては、願ってもない成長の季節でしょう。
僕が手がけている田畑でも、米も野菜も雑穀もよく育っており、
来週から16日間旅に出る僕は、手入れの心配をしています。
田んぼはともかく、この季節に畑を2週間放置しておけば、
どのくらい草がはびこるかは、やったことのある人なら皆わかる。
作物によっては、どこに何があるかわからないくらいになって、
そこから草の手入れをするのは、結構なハイリスクになるのです。
それでも僕らは年に一度の旅に出るので、旅から帰ったときに、
どうなっていようと、またその状態から手入れを始めるしかありません。
どのくらい草がはびこるかは、やったことのある人なら皆わかる。
作物によっては、どこに何があるかわからないくらいになって、
そこから草の手入れをするのは、結構なハイリスクになるのです。
それでも僕らは年に一度の旅に出るので、旅から帰ったときに、
どうなっていようと、またその状態から手入れを始めるしかありません。
うまく作物が育たない年もあるから、こうして成長を見るのは、
命の何であるかを考える、最高の契機になると思っています。
さらに最近では、単に作物が育って収穫するのを喜ぶだけではなく、
田畑全体で何が起きているか、無関心ではいられなくなっている。
日当たりや風通しを考えながら、どこに何を植えれば良いかと考えて、
季節ごとに移りゆく田畑の風景を、美しさの基準でも見守っている。
命の何であるかを考える、最高の契機になると思っています。
さらに最近では、単に作物が育って収穫するのを喜ぶだけではなく、
田畑全体で何が起きているか、無関心ではいられなくなっている。
日当たりや風通しを考えながら、どこに何を植えれば良いかと考えて、
季節ごとに移りゆく田畑の風景を、美しさの基準でも見守っている。
写真は左から、里芋、トウモロコシ、アマランサス、大豆で、
このほかにも、キュウリ、ゴーヤ、スイカ、インゲン、ササゲ、
タカキビ、白菜、キャベツ、トマト、ナス、ピーマン、唐辛子など、
およそ一反の面積に、好きな野菜や豆類、雑穀を栽培しています。
すでにニンニクなどは収穫を終えて、今日は醤油漬けも作り終えて、
来週の旅立ちに向けて、田畑の準備も整えてきています。
このほかにも、キュウリ、ゴーヤ、スイカ、インゲン、ササゲ、
タカキビ、白菜、キャベツ、トマト、ナス、ピーマン、唐辛子など、
およそ一反の面積に、好きな野菜や豆類、雑穀を栽培しています。
すでにニンニクなどは収穫を終えて、今日は醤油漬けも作り終えて、
来週の旅立ちに向けて、田畑の準備も整えてきています。
自然農による田畑の作業は、自然の理に寄り添っているので、
自分の体にも良いし、精神的にも揺るぎないものを感じています。
家族に何も問題がないかと言えば、日々悩ましいことはありますが、
それはすべて平和に生きていられるからであり、この状態には感謝です。
ただ残念なのは、こうした平和を食い物にして自分の利益を増やし、
社会や自然へのしわ寄せを、武力によって突破しようとする人がいる。
自分の体にも良いし、精神的にも揺るぎないものを感じています。
家族に何も問題がないかと言えば、日々悩ましいことはありますが、
それはすべて平和に生きていられるからであり、この状態には感謝です。
ただ残念なのは、こうした平和を食い物にして自分の利益を増やし、
社会や自然へのしわ寄せを、武力によって突破しようとする人がいる。
僕らはそうした問題を起こす人を、哀れに思いながらも、
その人たちともなるべく対立することなく、全体の調和を目指したい。
田畑の姿を見ながら、そこに生きる命の連鎖を感じるにつけ、
どんな命にも役割があると感じることは、自然の理なのだと思います。
自らは自然に寄り添って生きることで、幸せな人生を貫いて、
違う感性の人とも諍いなく、共存していきたいと思うのです。
その人たちともなるべく対立することなく、全体の調和を目指したい。
田畑の姿を見ながら、そこに生きる命の連鎖を感じるにつけ、
どんな命にも役割があると感じることは、自然の理なのだと思います。
自らは自然に寄り添って生きることで、幸せな人生を貫いて、
違う感性の人とも諍いなく、共存していきたいと思うのです。