「日本人はもうセックスしなくなるのかもしれない」

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文化現象の著述家である、湯山玲子さんと、
アダルトビデオ監督の、二村ヒトシさんの共著で、
幻冬舎から出された、興味深い本を読みました。
「日本人はもうセックスをしなくなるのかもしれない」
そのものずばりの題名ですが、とても関心のある内容です。

この本を読む前から、最近の日本人はセックスレス化している、
と言われていることを受けて、関心はあったのですが。
結婚しない若い人や、子どもを産まない若い女性と言った、
目に見える現象から、見えない原因を探る姿勢が面白い。
僕なんかは子どもの頃から、永遠のテーマくらいに感じていた、
セックスに関して、希薄になっているのはどうしてなのか。

しかも著者の一人は、セックス産業の中心にるAV監督で、
その人が近未来の日本人を、セックスレス化すると言うのだから、
真実味がある気もするし、なぜそう考えているか興味がある。
早速読んでみると、セックスの暴力性が関わっているとか、
セックス情報の過多による、うんざり感があると書かれている。

セックスはきれい事ではないけど、AVなどに慣れると、
美女や美男子の磨かれた技術のごとく、自分には難しく見える。
本来は極私的なエロスであったものが、お手本が公になり、
醜い自分の体や能力を晒すのが、ためらわれてしまうようなのです。
たしかに僕らが子どもの頃は、セックスは陰の暗闇の中にあって、
これを公にすることははばかられたし、口に出すことも控えていた。

さらに今の若い人たちは、自分のセックスを理想型にするには、
相当無理な努力をしなければならず、最初からあきらめる人もいる。
いわゆる「面倒くさい」ことは、極力嫌われてしまい、
自分にはそんな能力も無い、と真剣に努力もしなくなっている。
そんなことが本当なのか、僕らの世代には信じられませんが。

ネットのバーチャル世界で、それなりの情報と快楽を得ると、
リアルな現実世界のセックスは、贅沢品になって手が出なくなる。
男女の付き合いにおいても、セックスはむしろ面倒な厄介者で、
セックスレスで相手を求める、そんな人が現実に増えているのだとか。
男女の対等な関係を求める人にとって、セックスは支配関係が見え、
それがいやで避ける人がいるのは、少しわかる気もするのですが。

現実の暮らしにおいて、自分の体は老いていくものだし、
相手の体だって、いつまでもビデオのように若々しくはない。
アンチエージングが持て囃される時代に、年老いて醜い自分が、
セックスする姿を想像することは、自らの美意識において許しがたい。
なるほどこれでは、将来セックスレスになるのもわかる気がする。

そのとき日本社会は、どんな姿になるのかわからないけど、
性欲としてのリビドーが、どんな形で発散されるのかと考えると、
あまりよろしくない、暴力を内に秘めた社会になる危惧もある。
すでに情報過多で、プライベートは富裕層だけを利する特権になり、
庶民の僕らは私を失って、公の一部に組み込まれたのであれば、
この本の表題通り、次世代はセックスなどしなくなるのかもしれません。

それはやがて、滅びるということだと思うのですが・・・
マニュアル化して個性を失ったセックスは、生命力をも失い、
人々はセックスにおいても、サービスを受ける消費者になっていく。
種の根源にかかわるセックスにおいてさえ、合理化が進み、
極私的喜びとしてのエロスは、性的少数者の贅沢になるのかも。