環境市民宣言

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南砺市から富山市へ何度も足を運んで準備に参加し、ようやく14日にフォーラムが開かれて、
朝から晩まで話し合いを続けた結果、なんとか一つの「環境市民宣言」ができあがりました。
最後は夜の11時を過ぎてしまい、1時間以上掛けて帰宅したときは翌日でしたから、
朝6時前に起きて家を出たことを考えれば、ほとんど18時間労働だったことになります。
それでさえ僕は協力参加しているだけで、実行委員会のメインスタッフではありませんから、
実行委員長の本田さんや事務局長の河内さんの大変さは、いかばかりだったことか・・・

そんな極限状態の努力からひねり出した宣言文は、ちょっとお堅いものになりましたが、
まじめにフォーラムをやった結果ですから、ある程度はやむを得ないことだったのです。
それから一夜明けた15日は、さわやかな五月晴れとなった県庁前公園で、
賑やかにフェスティバルが開催され、大勢の人が集って楽しい一日になりました。
僕も妻子を連れて参加して、大勢の見知った顔と出会って楽しんできましたが、
今日はやっぱり何よりも、この「環境市民宣言」を紹介しておきましょう。

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                          富山から世界へ   環境市民宣言  

産業革命以後、さらに第二次世界大戦以後、急速な開発と経済発展により、世界はグローバル化し、人々の生活も大きく変化してきました。この急激な近代化によって引き起こされた社会の歪みは、公害となって人々の暮らしや生命を圧迫しています。ここ富山県でも、カドミウ ム汚染によるイタイイタイ病が発生し、被害住民の深い苦しみが癒えることはありません。   私たち現代人はまた高い利便性と引き換えに、大量消費による廃棄物の問題や自然破壊によって失われる生物多様性、進む地球温暖化など、地球の未来を脅かす大きな諸問題を生み出し てしまいました。先進 7 カ国をはじめとする国際社会はその解決のために、COP21 パリ協定 を実行に移す、具体的な方策を取らなければなりません。そして同時に市民もまた、それぞれのライフスタイルを見直し、持続可能で真に幸福な市民社会へとシフトしていかなければなり せん。3.11 東日本大震災を経験した日本だからこそ、私たちは人間らしいしなやかな都市づく り・分かち合いの社会へと、大きく舵を切ることができるのです。  
 「アースデイとやま 2016 環境市民フォーラム」に集った私たちは、2030 年までの国際目 標「SDGs(持続可能な開発目標)」を踏まえ、未来への責任を果たすために、次のような行動 目標を掲げ、自己と社会の変革を進めることを宣言します。 

・私たちは、物質文明から環境と生命を大切にする文明へとシフトします。
・私たちは、自然に謙虚な姿勢で向き合い、生物多様性やその恵みと共にある暮らしを、守り 伝承していきます。
・私たちは、拡大型のグローバル経済への依存から、地域循環型の持続可能な経済へシフトし ます。
・私たちは、主権者として政治参加によって、自分たちが望む未来を築きあげます。
・私たちは、行政や専門家のみに依存せず、自ら論理的な思考や調査スキルを身につけ、対等 な立場から議論しながら、よりよい政策づくりに積極的に関与します。
・私たちは、それぞれが自分の役割を担い、顔の見える共同体を再生します。
・私たちは、地消地産を進め、食糧自給率の高い地域社会を取り戻します。
・私たちは、原発に頼らず、化石燃料への依存を減らし、再生可能エネルギー100%をめざします。
・私たちは、情報を共有し、市民がエンパワーメントされる「市民プラットフォーム」をつく ります。
・私たちは、この宣言のもとに行われた各自の取組みを定期的に持ち寄り、継続的に改善して いきます。  

2016 年 5 月 14 日
アースデイとやま 2016「環境市民フォーラム」参加者一同
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最後まで読んでくださった人に、今回のフォーラムに参加した人の発言で、
ひとつとても気に入った言葉を、特別に紹介しておきたいと思います。
それは今回の環境市民宣言にさえ、盛り込みたい言葉ではあったのですが、
あまりにも哲学的で雰囲気も違うので、ここだけに書いておきたいと思います。

「人生の価値観を考えるなら、自分が何者で何を望んでいるかを知る必要があります。
 人はここに何をしに来たのかと考えたとき、自分には何が一番大切かがわかるとすれば、
 私はあなたに会いに来たのだと答えるし、それ以上の価値などどこにもないのです」

お金よりも地位よりもどんな財産よりも名誉よりも、あなたと一緒に暮らしたい。
そんな当たり前の恋愛さえできなくなったなら、人類はやがて滅びるでしょう。
環境問題は、そんな哲学的な課題の喪失にありそうな気がします。