宮嶋信さんとイーハトーブ

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チェロ弾きの宮嶋信さん

昨日いのくち椿館で、「未来の暮らしを考える映画祭」を行いました。
ゲストの宮嶋信さんと小谷村の有志には、前日から砺波へ来ていただき、
簡単な交流会を開いて、映画祭を契機とした小谷村との交流もできました。
映画祭のスケジュールをこなしながら、いろいろとお話をして、
「アラヤシキの住人たち」とは何だったのか、少しわかった気がします。
現実世界の中に描かれた、イーハトーブのような理想郷だったのです。

今では全体で130人を擁する、NPO法人としての共働学舎ですが、
大規模な農業経営をする各地の共働学舎と真木学舎は、雰囲気が少し違う。
そしてこの真木共働学舎こそ、創設者宮嶋慎一郎さんが夢に描いた、
理想郷の姿を具現化しているのだと、僕なりに気付いた気がするのです。
この世に生まれてきたどんな人も、必ず価値を持っているとする信念の元に、
点数による競争ではなく、お互いに助け合って協力する社会を作る。

グローバルな経済社会とは一線を画し、土に根ざして生活の糧を得る、
その姿勢は自然農と同じで、生き方そのものを考えさせる“何か”なのです。
強引に見る者をどこかへ誘う、意図されたBGMさえも使わずに、
自然界の音だけで構成された映画だからこそ、人を懐かしい世界へ誘う。
たとえば水の音や鳥のさえずり蛙の鳴き声だけで、僕らが連れて行かれるのは、
昭和30年代~40年代でありながら、未来の平成年代であったりする。

人為的な価値観で縛られていないから、どこへでも向かう人の心が、
最後に行き着くのはどんな世界なのかが、そこはかとなく見えるのです。
宮嶋慎一郎が共働学舎に想い描いた理想郷が、真木共働学舎にこそ存在する、
そんな自負のようなものが、宮崎信さんの言葉にはありました。
そしてたぶん本橋誠一監督も、同じような思いがあったこらこそ、
2年の歳月をかけて、この映画を創ったと思われるのです。

本橋監督の映画作品に対する信頼と、チラシ一枚の写真に見た共感は、
「世界はたくさん、人類はみな他人」とする、キャッチコピーで完璧になる。
そして観た映画は、期待通りに“何か”を持っていたばかりではなく、
こうした世界を存在させた地域の人々によって、さらに喜びとなるのです。
すでに慎一郎さんの理想郷を超えて、信さんのイーハトーブとして、
僕は現実世界の中に、あるべき人間の粘り強さに出会ったのです。

宮嶋信さん、小谷村の人たち、本橋監督、ポレポレの人たち、
そして映画祭を実現するために、協力してくれたスタッフの人たち、
そして真木共働学舎の皆さん、ありがとうございました。
理想郷はどこにあるのではなく、夢見る人の心に根ざしながら、
具体的な暮らしを打ち立てる、すべての人の生身が息づく所にある。
そんなことを、今回の映画祭実現から学ばせていただきました。