どうせ言っても聞いてくれない社会
世の中には、力の強い人と弱い人がいる。
力の強い人は、弱い人を実行支配していますが、
この現実は、単に武力による支配だけではありません。
武力や暴力を使って、他者を思い通りにしようとすれば、
少なくとも現代の日本では、明確に否定されます。
だけど経済力や社会的立場による、実行支配は、
あまり批判する人はいないし、当然とさえ思っている。
本当にそれでいいのかは、議論されることもない。
力の強い人は、弱い人を実行支配していますが、
この現実は、単に武力による支配だけではありません。
武力や暴力を使って、他者を思い通りにしようとすれば、
少なくとも現代の日本では、明確に否定されます。
だけど経済力や社会的立場による、実行支配は、
あまり批判する人はいないし、当然とさえ思っている。
本当にそれでいいのかは、議論されることもない。
先日広島の中学3年生の生徒が、学校側の進路指導に、
間違っているにもかかわらず、反論することができなかった。
この現実に対して、学校側に対する批判は多いのですが、
その本質が、現代社会そのものの構図であることは、
あまり議論もされないし、気付いていない人が多いようです。
本来民主主義による熟成社会は、多数決を原則としながら、
少数意見にも耳を傾け、その主張を理解して、
少しでも多くの人の合意を得て、物事を進めます。
だけど今回の教育指導を見ると、立場の暴力というか、
独善的な職務遂行が前面にあって、相手の話を聞いていない。
裁判などで、判決までにあれだけ多くの時間を要するのは、
双方の立場や意見を、偏見なく理解して判断するためで、
そのためには不必要と思えるほど、慎重に吟味されていく。
同じようなことを、日々の生活の中に求めるのは、
無理があるとは言っても、配慮を忘れてはいけない。
僕らは常に、相手の声に耳を傾けている必要があるのです。
僕などは日常的に、弱い立場に身を置いていますし、
何か意見を言うときも、先に相手の言い分を聞いてしまう。
相手も同じように、他者の意見を尊重する人ならいいのですが、
多くの場合は、自分が言いたいことに夢中ですから、
相手の言うことに対しては、自分の正しさを主張して終わる。
弱い立場の人は、相手の主張を受け入れるしかなく、
どうせ言っても聞いてくれない、と思っているのです。
これでは何も進歩しないし、立場の固定化が始まります。
本来は単に職場的な地位でしかない、人を指示する仕事が、
いつのまにか全人格的な、人を支配する職務と勘違いされる。
仕事がうまく行かない人は、本来は助けが必要なのに、
その人の人格を否定するような、暴言を吐いて叱責する。
そこでは無意識のうちに、人を支配しようとする力が働いて、
意識して相手を尊重する気がないと、実行支配が生まれてしまう。
生徒の指導をしていた先生は、彼を辱める意図はなくても、
無意識の実行支配で、生徒を絶望に導いたのでしょう。
大人の社会では、こんなことは日常的にあるのかも知れず、
黙っていれば、どこまでも支配されていってしまう。
そうかといって、上に立つ立場の人に自覚がなければ、
下で働く人間は救われることなく、仕事を辞めるしかありません。
下から上に意見することは、かくも難しくできないことで、
長いものに巻かれてしまうのが社会で、逃れられないのなら、
正義や愛や正しさよりも、ひたすら上の立場を求めるか、
そうでなければ厭世的に、静かに生きるしかないのでしょう。
一億総活躍社会の前に、弱者が助けられる社会を望みます。