生涯続く社会学
先日久しぶりに、一人で東京へ行ったついでに、
大学時代を過ごした、池袋界隈を歩いてみました。
夜行の高速バスで上京し、池袋で下車したのですが、
早朝だったので、デニーズで朝食と時間調整。
10時から新文芸座で、見たい映画があったので、
それまでの時間に、立教大学まで足を伸ばしました。
大学時代を過ごした、池袋界隈を歩いてみました。
夜行の高速バスで上京し、池袋で下車したのですが、
早朝だったので、デニーズで朝食と時間調整。
10時から新文芸座で、見たい映画があったので、
それまでの時間に、立教大学まで足を伸ばしました。
ほぼ40年ぶりの母校ですが、正門から学食へ続く道は、
昔と変わらない様子で、なんだか不思議な気分がしました。
間違いなくこの庭で、学生時代を過ごしたのですが、
ここに立つと、20歳そこそこだった自分が蘇る。
未熟で無謀で世間知らずで、それでいて高慢だったけど、
夢は確かにあったし、いくつかの恋もしていた。
そもそも立教へ入ったのが、このキャンパス目的?で、
当時の雰囲気は、もう少しゆったりしていたでしょうか。
今はなくなっている、放送研究会の部室がこの一角にあって、
僕は大学へ来ると、教室より部室にいることが多かった。
教室で習う社会学よりも、学生生活そのものが、
僕には大きな意味で、社会学だった気もするのです。
雨の日には絶対に出てこない、2年年上の先輩や、
雑誌の表紙に紹介されるような、美しい風貌の女性たち。
まだ時々は校内で、学生たちのデモがあって、
僕はテレコにマイクを持って、その取材にも行った。
どこのセクトかと聞かれて、僕は臆することなく、
どこのセクトでもない、知るために取材していると答えた。
番組は作ったけど、発表する機会はないままで、
合宿や飲み会が続き、いくつかのカップルも生まれた。
僕も仲間の女性を好きになって、付き合ったけど、
次第に長い旅をするようになると、彼女から離れた。
大学の女子寮にいた娘と、朝帰りをしたときは、
塀越えの場所を教えてもらって、彼女を寮に帰した。
やがて渋谷のNHK、放送センターでバイトを始め、
受付の女性と付き合って、アパートに転がり込んでいた。
旅に出てお金がなくなると、東京へ戻ってアルバイトをし、
100万円以上たまると、また旅に出ていたのです。
沖縄へ行って暮らし、アメリカへ行って暮らし、
20代の終わりまで、旅の暮らしを続けていました。
30代半ばでバブルの時代となり、パソコンが普及し始めて、
僕はコンピューター会社で、初めて正社員となりました。
仕事を13年努めて、その間にダイビングライセンスを取り、
プーケットやバリ島など、リゾート地を遊び回る。
そしてバブルが終わって仕事を辞めると、田舎に戻り、
最後は静かに、ネットと自然農の暮らしを始めたのです。
思わぬ出会いに恵まれて、遅まきながら結婚しましたし、
子どもも生まれて、今は幸せな毎日を過ぎしています。
だけど学生時代から、社会全体の問題には関心が強くて、
そのために社会学を専攻しており、気持ちは今も変わらない。
ずっと何らかの市民活動を続けるのも、人間が生きるとは、
自ずと社会を形成すると知り、進んで関わりたいと思うからです。
久しぶりに大学のキャンパスを歩いて、考えていると、
人間とは何かってことを、またあらためて考えたのです。
何度でも考えて、わかったような気になってきますが、
また何年も経って考えると、少し違った答えを思う。
そのどれが正しくて、何が間違っているわけではなく、
同じ場所で同じ時でも、視点が違えば世界が違ったのです。