マネー資本主義を超えて

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十数年前に、「エンデの遺言」によって提唱され、
それでも数年前までは、誰も本気で考えていなかった、
資本主義に対する疑念が、世界に渦巻くようになりました。
僕のブログでは、しばしば言及してきたことですが、
おカネ経済を中心に社会を捉えると、大きな間違いを犯し、
人々の暮らしに格差をもたらし、人間性を失っていく。

ソビエト社会主義が崩壊したあと、欧米の人たちは、
アメリカ型の資本主義こそが、豊かな未来を作ると確信して、
マネー利益を追求する、計算資本主義を突き進んだのです。
しかしその結果は、世界中に貧富の格差を拡大して、
金融機関は天文学的に、計算だけで利益を追求したために、
膨大なバブルが生じて弾け、人々の暮らしは打撃を受けました。

この事態を苦々しく見ていた人たちは、犯人探しをして、
ロスチャイルド家が仕組んだ罠だとか、宇宙の高等意志だとか、
荒唐無稽とも思われる話に、真相の行方を求めたのです。
僕自身も何度か、皆さんに紹介するかどうか迷ったものに、
フォスター・ギャンブルの映画 、“Thrive”と言うものがあって、
これは現在様々な場所で、無料配信で見ることができます。

しかしこれらの映画や意見は、ほとんど直感に頼るもので、
その上僕らの暮らしとは別の所に、犯人を設定するので、
例によって多くの人々には、被害者意識しかもたらしません。
自分とは無関係な誰かを、加害者に仕立て上げて、
悪いのはそいつだから、自分は何も悪くないと言うのは、
僕にはやっぱり、何か不自然に思われたのです。

自分も含めた人々の活動が、現実を動かしているはずで、
もしも世界に何か間違いがあるなら、僕らにも問題がある、
そう考えるから、問題を起こさない生き方を考えてきたのです。
その結果として、問題の本質の方は解明できませんでしたが、
問題を起こさない生き方自体は、自然農との出会いにより、
すでに身につけ始めている、と言うのが今の僕です。

そして問題の本質の方も、イリイチから始まっていたのですが、
南米の社会資本主義の台頭や、欧米の若者による占拠事件、
さらには政治の内幕の暴露などによって、明らかになってきました。
今や新しい経済の在り方を巡って、多くの政治経済学者が発言し、
ついには資本主義の本質を証す、トマ・ピケティが登場して、
「21世紀の資本」が、新しい経済学の指標になりつつあるのです。

その意味で今年は、世界経済に大きな転換が始まる年になる、
と僕は思っているのですが、日本では政治家がネックになって、
社会が動き出すのは、もう少しあとになるかもしれません。
それでも目指すところが明確になれば、日本人の集中力が発揮され、
多くの問題が明らかにされて、社会は大きく動き出すでしょう。
21世紀に見る夢は、豊かな市民民主主義となることを祈ります。