世界平和と家内安全
妻が厄年だとかで、お祓いに行って来ました。
僕はそうしたことには、あまり関心がありませんが、
妻が気にしている以上、付き合うに吝かではありません。
まだ正月3日だというのに、八幡宮に参拝客はなく、
僕ら家族3人は、宮司が直接で迎えてくれてのお祓いです。
僕はそうしたことには、あまり関心がありませんが、
妻が気にしている以上、付き合うに吝かではありません。
まだ正月3日だというのに、八幡宮に参拝客はなく、
僕ら家族3人は、宮司が直接で迎えてくれてのお祓いです。
このあたりで初詣でと言えば、高瀬神社が有名で、
多くの人はそちらへ行って、地元の八幡宮にと言えば、
正月元旦に三々五々、人がやってくる程度です。
それでも町のお祭りは、この八幡宮のものですから、
僕らは高瀬神社ではなく、地元の八幡宮の氏子なのです。
それを思えば、厄払いも八幡宮にすれば良さそうですが、
多くの人は地元の八幡宮ではなく、高瀬神社へ行くようです。
と言うか僕の姉などは、同級生うち揃って両方へ行ったようで、
同窓会の勢いというか、皆で参加することを楽しんだのでしょう。
それを楽しむのなら、それはそれでいいとは思います。
境内には誰もいない、小雪が降る静かな八幡宮へ、
きっちり鳥居から入って、手水で口と手を清めてから、
本殿に上がって鈴を鳴らし、お祈りをして奥へ進みました。
すると宮司が直接出迎えてくれて、厳かに中へ入り、
僕ら3人に、厄除けと家内安全の祝詞をあげてくれたのです。
僕はただ妻の厄除けに、付き合うだけのつもりでしたが、
妻が“家内安全”も望んだので、これは僕の名になりました。
祝詞のあとは玉串を捧げて、二礼二拝一礼をして祈るのですが、
僕はせっかくですから、“世界平和と家内安全”を祈ったのです。
世界が平和でなければ、家内も安らかには暮らせません。
日本人は昔から、すべての命あるものを大切にして、
自然に溶け込みながら、安らかに生きることを良しとしました。
この心を失うことなく育てることが、一つの文化となって、
今日ある日本文化を、確固たるものにしてきたのだと思います。
日本人とは民族によるのではなく、文化による括りです。
民族的にどのような血筋の人であろうと、日本文化を共有し、
大和心を愛して潔く生きる、それが本来の日本人です。
国が違えば文化も違うので、日本国固有の文化でもあるけど、
国籍が日本国民であるからと言って、日本文化人とは言えない。
元々経済主義や功利主義とは相容れない、魂の文化なのです。