実家みたいな石黒家

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石黒夫妻
 
僕の両親は、もう20年ほど前に亡くなっているし、
誰も主のいなくなったその家に、今は僕が暮らしています。
したがって僕には、実家と呼べるものはないのですが、
実家と思える家なら、実は3箇所ほどあるのです。
1箇所は石垣島で、すでに40年世話になっている宿で、
現在は岩尾さんがオーナーになっている、小さな民宿です。

この宿は僕が初めて石垣島に行ったとき、建築中だったもので、
完成した年から、ほぼ毎年行っている常宿なのですが、
途中で2度オーナーが変わっても、すっと行き続けています。
宿と同時に海岸線にも、僕らの決まった居場所があって、
そこは“基地”と呼んでいますが、海へ潜るときは、
必ずここに持ち物を置いて、無人島の周辺へ向けて出ていきます。

毎年必ず行って、2週間から1ヶ月ほど滞在するのですが、
今は米作りがあるので、少し短めになってはいます。
それでも現地でしか会わない人や、平野の海を思うときに、
感じる郷愁は、実家に感じる懐かしさのような気がするのです。
最初は珊瑚礁の海に潜ることが、無常の楽しみでしたが、
今ではあまり潜らなくなったのに、やっぱり行きたくなるのです。

2箇所目は横浜にある、長く住まわせてもらった山浦家で、
ここは場としての家ではなく、家族自体が実家のような感じです。
結婚した今は、なかなか会えなくなってはいますが、
結婚する報告も、誰でもないこの家族の主人にしたのです。
僕は両親が亡くなるまで、あまり家には帰らない息子だったので、
両親よりもこの家族を、自分の家族のように接してきました。

横浜という場所も好きで、東京の新宿や多摩市で仕事をしたときも、
この家族のもとで暮らして、何かと世話になっていたのです。
旅暮らしの時には、この家族の中に部屋を借りて、
これを拠点に長期の旅に出て、戻ってくる生活でした。
今思い出しても、本当に多くの出来事があったと思うし、
僕の人生を豊かなものにしてくれた、大切な場所なのです。

そして3箇所目が、富山に来てから知り合った石黒さん宅で、
電気もガスもない別世界のような家なのに、何故か落ちつくのです。
石黒家の家族とも親しくなって、自然農を教えてもらうかたわら、
生活の様々な場面で、助けてもらったり教えてもらったりする。
こうした関係は何かな?と思えば、やっぱり実家の感覚で、
行けば何もなくてもくつろいで、静かな時間が過ぎるのです。

思えば僕は、実際の両親とは意見が合わないこともあって、
彼らが元気なときには、ほとんど会話らしい会話をしていません。
したがって今思えば、父や母がどんな考えだったのか、
あまり知らないままだったのですが、話せば意見が対立する。
そう思い込んでいた所為もあって、あまり会話をしなかったから、
ますますお互いを理解しないまま、最後まできた気もします。

その点石黒家の人たちとは、基本的な考えも通じ合えるし、
だからこそ話も弾み、話したくないときは黙っていても落ち着ける。
今は結婚して、妻には妻の実家があって遊びにも行きますが、
時々妻がひとりで実家へ行くように、僕はひとりで石黒家へ行くのです。
とりとめないことを話して、一緒に食事をしたりコーヒーを飲んだり、
本当の実家以上に、実家へ帰った気持ちで落ち着けるのです。