町内会で総報恩講
毎年この時期になると、町内会で総報恩講が催されます。
新年の町内会総会に先だってあるので、移住してしばらくは、
これが何だかよくわからないまま、ただ並んで参加していました。
その後になって、報恩講が浄土真宗の重要な法要行事だと知り、
なるほど真宗王国と呼ばれる土地柄、と感心したものです。
新年の町内会総会に先だってあるので、移住してしばらくは、
これが何だかよくわからないまま、ただ並んで参加していました。
その後になって、報恩講が浄土真宗の重要な法要行事だと知り、
なるほど真宗王国と呼ばれる土地柄、と感心したものです。
報恩講自体は、開祖・親鸞聖人(しんらんしょうにん)の命日、
11月28日を中心にして、聖人の恩に報いる法要とされていますから、
町内でお正月にやるのは、いかにも現代風と言えるでしょう。
瑞泉寺ほかのお寺では、今も11月下旬にやっているようですが、
僕らの町内のように町中では、正月でもないと人が集まらないのです。
しかも総報恩講ですから、これは単なる報恩講とは違って、
前の年に町内で亡くなられた方の、ご冥福を祈る集まりでもある。
さらに僕らの町内では、「土橋講」と呼ばれるものが同時にあって、
こちらも歴史は古く、江戸時代の中期に始まっているようです。
これらをまとめてやるから、総報恩講と言うことになるのでしょう。
町内の古参が子どもの頃に、お年寄りから聞いた話によると、
昔この土地を通っていた瑞泉寺への参道に、小川を跨ぐ土橋があって、
その土橋を守る講から始まり、現代に続いているとのことでした。
すでに土橋どころか小川もない、地形まで変わってしまって久しいのに、
土橋講だけはしっかり続いており、廃止される気配はありません。
町内の公民館の広間には、大きな耐火金庫が備え付けられており、
その中には過去から現代まで、亡くなられた人の名簿と一緒に、
この土橋講の巻物が、宝物のように大切にしまわれているのです。
巻物の内容は、仏教浄土真宗がいかに大切なものかを説いたもので、
今年は報恩講の読経をされた坊さんが、解説もされていました。
こうした行事が大切にされ、長く続けばいいとは思いますが、
参加者はお年寄りがほとんどで、若い人の姿はありません。
いずれ若い人も年を取れば、こうした行事に参加するのでしょうが、
僕らの町内にも高齢化が押し寄せていますから、若い人は少ない。
これからますます人が減れば、町内の総報恩講はどうなるのか・・・