二つの選択

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中新町から上新町を望む 
 
もう10年以上前の話になりますが、横浜から井波へ引っ越して、
まだ間もない頃に、その後の生活を決定づける二つの選択がありました。
一つは中新町あたりの路上で、一人の高齢の女性に声を掛けられて、
山へ帰るお金がないので、バス代をもらえないかと言われたとき。
そのとき僕がお金を持っていたかどうかは、覚えていないのですが、
お金には関わりたくなかったので、警察で貸してもらうように勧めました。

バブルは終わっていたと言っても、今ほど不景気な時代でもなく、
突然町の路上で「お金が欲しい」と言われ、驚いた記憶を忘れないのです、
同時に僕はこの時初めて、自分がお金に関わりたくないことを意識し、
その後もお金より時間の暮らしを優先して、市民活動も始めたのでした。
なにか象徴的な出来事として、それ以来今までずっと忘れることなく、
自分の生き方を考えるときに、思い出す出来事となっています。

そしてもう一つは、家の前で体の不自由な人に声を掛けられて、
このあたりに手芸品のお店はなかったですか、と聞かれたときのこと。
僕の家は母が元気だった頃は、手芸品などの小間物を扱う店だったのですが、
母の後も別の人が受け継いで、店を続けていた時期があるのです。
僕が家に戻ったことで、お店は別の場所に引っ越してしまったのですが、
それを知らない人が、店を尋ねてきたところに出くわしたわけです。

新しい店の場所は知っていたし、聞いてきた人は車いすに乗って、
地理にも不案内な様子でしたから、どうしたものかと思っていたら、
お隣のおじさんから、新しい店まで連れて行ってあげるように言われました。
なるほど確かにそれが最善のことと思われて、その人の車いすを押して、
新しい店の場所まで案内して、連れて行った記憶が鮮明にあるのです。
これも実に象徴的で、僕には忘れられないこととなっています。

隣のおじさんは、木彫りに優れた作品を残した彫刻家なのですが、
僕の中では幼い日の記憶から、なんとも懐かしい人なのです。
その人のアドバイスで、僕の中にあった本当の気持ちが動き出して、
自分に正直になって、やりたいと思うことを素直にできるようになった。
これはとても大きなことで、それまでの自分は心に思うことでも、
気恥ずかしさや照れがあって、行動できないことが多かったのです。

なるべくお金にかかわらずに、自分の暮らしを立てていくことと、
周囲の人に助けられながら、自らも人を助ける市民活動をして生きる。
合理的な暮らし以上に、人と人との絆を大切にした暮らしをすることで、
人も自分も幸せになれることを、はっきり自覚した出来事として、
僕はこの二つの出来事、二つの選択を大切にしているのです。
たとえ時代遅れでも、これが僕の生き方の基本になったのです。