リビドーと人生

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男女平等を推進する意味では、男女性より個性が大事と思いますが、
個性とはあまりにも個々人のことなので、一般社会的な話になりません。
そして少なくとも僕の場合、男女性は人生における大きな要因だったので、
この男女性のことを、もう一度ちゃんと考えてみようと思いました。
そう思ったきっかけは、女が男より優れている理由として挙げられた、
「女性は男性のように、リビドーに突き動かされることがない」
の意味について、自分なりに考えるようになったからです。

この発言はIMFのラガルド専務理事(女性)が、テレビ番組で、
「女性がリーダーになることに、どんな意味があると思いますか?」
と問われたときに答えたものですが、今でも時々思い出します。
リビドーとは精神分析用語で、「快感追求的な性本能を発現させる力」
とされますから、なぜそんなものがリーダーと関係あるのか、
不思議にも思ったので、当時のブログでも記事を書いています。
http://blogs.yahoo.co.jp/isop18/62542089.html

そしてその後も、この言葉は時々思い出すことになりますが、
確かに僕の人生においても、リビドーは大きな人生の要因だったのです。
人生を俯瞰してみてもわかるのは、僕は進学とか就職とかはには、
あまり人生を振り回されなかったと思うのに、こと女性に関しては、
幾度となく人生の転機があって、それを半世紀に渡って続けてきました。
女性のことが、僕個人のことでなくなり始めたのは小学生の頃で、
うっかり行動すると、子ども社会でも大変なことになってしまったのです。

今なら珍しくもないかも知れませんが、小学生の時に入院した女の子を、
お見舞いに行っただけで、クラス中が大騒ぎになったことがあって、
それ以来僕は、女性に対する本心をあまり表に出さなくなります。
中学に進学しても、好きになった女性とは個人的にしか話をしないで、
人に知られることを極力避けていたのは、何か本能的に気付いていたのです。
学校での成績や評判や、あらゆる表面的な見える出来事よりも、
ひとりの女性との関係こそが、人間の生涯を決定づけてしまうことを。

やがて恋をするようになっても、僕は自分の彼女との関係は、
人に話さないまま深く潜行するのが得意で、付き合った女性も多い。
その方が余計な誤解も少なくて、親密な関係が深められた気もするし、
知り合った女性との付き合いが、仕事よりも世界を広げてくれていました。
自分の人生を振り返るときに、たいした仕事はしていませんが、
付き合った女性から得たものは、人生を左右する要因も多かったのです。
女性との関係だけが、人生で意味あるものだったとさえ言えるかもしれない。

幸い僕は人生のほとんどの場面で、自由に暮らせましたから、
13年間の就職時代も含めて、やりたいことだけやってきた気もします。
就職したのも当時はバブルの時期でしたから、お金を確保しておく必要があり、
バブルが終わってまもなく、会社が世知辛くなって辞めたのも道理でした。
その間に貯めたお金で、お金ではない暮らしへの足がかりも掴んだし、
以後は誰に雇われることなく、気ままな暮らしを続けて来ましたが、
そこでも僕を動かしていたのは、確かにリビドーだった気もするのです。

リビドーに突き動かされて動くけど、執着はしないのも僕の流儀で、
それはちょうど海で遊ぶときに、潮の流れや満ち引きを見て動くのと同じ、
流れに乗って遊び、恋をして、楽しみ、潮が引くに合わせて身を引いていく。
こんな暮らしでしたから、結婚の必要性も感じませんでしたが、
今の彼女と知り合ったときに、やりたいことが一つ増えてしまったのです。
子どもをもうけて家族を作ることが、自分の望みになったことで、
僕は自由なままに囚われ、新しい暮らしを楽しんでいる気がします。

世の中婚活が盛んですが、仕事や結婚の既成概念に縛られることなく、
もっと自由にやりたいことをやって、恋をして結ばれる結婚をして、
この世界に産まれて生きることを楽しめば、それでいいのだと思うのです。
少子高齢化地域活性化がどうのこうのと、言えば言うほど本質をずれ、
そんなことは忘れて自由に暮らせば、問題を起こさない暮らしになる。
僕らは現代社会で、やらなくてもいいことをやりすぎているから、
自然農などが、必要になってきたのかも知れません。