「愛の裏側は闇Ⅰ」

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久しぶりに楽しく、心躍る物語を読みました。
シリアのダマスカスに生まれ、ドイツへ留学して亡命した、
ラフィク・シャミが描き出した、一大叙事詩と言える物語です。
309ページに及ぶ第1巻を読んだだけですが、心がときめいて、
早く第2巻を読みたいと思ってしまう、興味深い作品です。

作品の舞台がシリアなので、アラブ世界を知らない僕は、
それだけでも興味深いのですが、民俗学的な難しさはありません。
作品の主人公は、ムシュウターク一族の若者ファリードと、
シャヒーン一族の娘ラナーですが、この両家は長年に渡って対立し、
双方に何人も死者を出しながら、繁栄を続けています。

時代は19世紀後半から現代まで、この両家の成り立ちから、
政治的混乱が続くシリアの情勢を背景に、愛の物語が続きますが、
この愛がくせ者で、僕ら日本人には必ずしも理解できない。
いや昔の日本を思えば、この物語に登場する男たちの誇りなども、
わからないではないけど、やっぱり首をかしげるところもある。

一族の名誉のために、次々に人が殺されていくなんて、
現代の日本人には理解しがたいけど、昔の日本にはあったこと。
日本が封建時代だった頃には、一家一族の名誉のために、
人が殺されるのは、さほど珍しいことではなかったと聞けば、
それが現代も続いているのが、シリアだと言うことになる。

近年はアラブの春といいながら、女性に対する仕打ちは、
イスラム国のニュースを聞くに付けても、日本人の感覚とは違う。
どのように違うのかは、現地の人から聞く機会がないので、
わからないけど、それもこの物語を読んでいると見えてくる。
僕らにとっては非日常的な出来事が、あたりまえに登場します。

この未知の世界とも言える、シリアのダマスカスからさらに田舎、
彼の両親が生まれ育ったマルーラ村が、事実上の舞台です。
キリスト正教会のシャヒーン家と、カトリック教会のムシュウターク家、
この両家の抗争は、日本ならヤクザの抗争を見るような激しさですが、
それが政治家や役人まで巻き込み、複雑に絡み合っています。

しかもこの複雑さには、長い年月が絡んでくるので一筋縄ではない、
複雑に絡み合った糸が織りなす、広大な模様があるのです。
この複雑でややこしい関係を、短い章の積み重ねによって描かれ、
読んだときは断片しかわからなくても、読み進むうちに、
様々な章が折り重なって、深い読み応えを感じさせるのは見事です。

全体を見通しやすいように、「愛の書」「死の書」「氏族の書」、
と言った分類がされながらも、これがまた複雑に絡んで出てくる。
したがって読んでいるときには、必ずしもわからないことが、
読み終わって次の章を読んだときに、事情が見えてきたりするのです。
この面白さは、まるで知的ゲームに挑戦するように刺激的です。

ただ難解なのではなく、物語世界を読み解いていく楽しさの上に、
その努力が必ず報われる信頼は、そのまま神との対話のようなのです。
そして第1巻を読み終えた今、あまりにも大きな謎と向き合って、
早く第2巻を手に入れたい、読みたいと思わずにはいられない、
まるで魔法世界を読むような、熱くて面白い作品なのでした。