原発は要らない!

イメージ 1
 
僕もうっかりしていましたが、先月9月15日をもって、
日本全国で全部の原発が運転を止めてから、丸1年になりました。
最後まで運転を続けていた、福井県関西電力大飯原発4号機が、
2013年9月15日に停止してから、丸1年が過ぎたと言うことです。
この間に停電は起きてはいませんし、経済も滞ることは無かったので、
理論的にも実質的にも、原発は必要のないリスクだったのです。

この原発を巡る抗議や反対活動は、3.11以前から根強くあって、
反対運動のない原発など、一基もなかったのではないでしょうか。
それにもかかわらず、次々と54基まで建設されたのですが、
この背景には、強力な政治によるリーダーシップが働いていました。
政府から電力会社へ、そのお金がまわり回って政治家へ渡り、
さらには原発立地地域へ、原発推進者たちへ回されていた。

2010年以前の、電力会社による原発説明会に出席しても、
原発に疑問を持つ人や、反対する人の質問が圧倒的に多かったのです。
電力会社では最初から原発を推進する、と決めていましたから、
僕らの質問は答えるのも面倒そうで、決まり切った返答だけでした。
そして説明会が終わったあとで、主催側の人と雑談をしていると、
思わぬことを聞かれたのを、今でもはっきりと覚えています。

主催者側で説明会の準備をした人は、どんな立場の人だったのか、
さりげなく僕らに、反対側はどこから資金が出ているのかと聞くのです。
自分たちが電力会社からお金をもらって、原発推進しているのだから、
反対する人も当然、どこかからお金が出ていると考えていたのです。
逆に言えば、もしもお金が出ていなければ原発推進などしない、
ほとんど何も考えていない、お金だけが目的の人たちだったのです。

そのお金がどこから出ているのかと言えば、政府からであり、
電力会社からであって、さらにその前は一般市民から集めたのです。
つまり一般市民から集めたお金で、原発反対を封じ込めると言う、
民意を無視した暴挙が、原発を推進させていたのです。
こんな体質だから、3.11原発事故は起きたのであって、
決して天災ではなく、人災だったことは間違いありません。

法治国家であれば、その意味でも責任は問われなければならず、
福島原発事故でも訴訟はあったのですが、すべて不起訴になりました。
そのご検察審査会において、東電旧経営陣の3人は「起訴相当」となり、
あらためて起訴されるかどうかが、問われることになりましたが、
政治家の場合はこの長期化によって、政治生命を奪われますが、
東電は痛くも痒くもなく、利益追求を続けられるのです。

さらに奇妙なことは、日本中で起こされた数多くの原発裁判で、
ほとんどの原発を止めようとした裁判は、敗訴したのは何故なのか?
日本の裁判は3権分立で独立しているはずが、実はつながっており、
政府に不都合な判決をすると、その後の待遇が違ってくるのです。
それどころか最高裁判所の判事などは、政府の意向に背く裁判官では、
最初から指名されることもなく、判決には政府の意向が反映されるのです。

こんな過酷な状況でありながら、既に1年以上に渡って原発は止まり、
再稼働は早くても来年になると言う事実は、これこそ民意と言うしかない。
この民意こそ、どんなに法制度を企業に有利なものにしようとも、
国民市民の将来を憂う人々を動かし、新しい時代の流れを作るのです。
狭い国土の日本には、原発はあまりにもリスクが高く危険だから、
過去においても未来においても、日本に原発は要らないのです。