「ゼロ グラビティ」
91分の上映時間で、登場人物は二人だけ、
と言うタイトな作品ながら、舞台の宇宙空間は美しく、
最後まで緊張感があって、興味深い作品でした。
スペースシャトルの、メディカル・エンジニアである、
ライアン・ストーン博士がサンドラ・ブロックで、
ベテラン宇宙飛行士マットに、ジョージ・クルーニー。
と言うタイトな作品ながら、舞台の宇宙空間は美しく、
最後まで緊張感があって、興味深い作品でした。
スペースシャトルの、メディカル・エンジニアである、
ライアン・ストーン博士がサンドラ・ブロックで、
ベテラン宇宙飛行士マットに、ジョージ・クルーニー。
この二人が、スペースシャトルで船外作業をしているとき、
緊急事態に遭遇して、大きな事故に遭ってしまう。
話は常にストーン博士の視点で、宇宙空間に放り出されたり、
マットに助けられたりしながら、自分と向き合って、
この事態で人は何を感じ、いかに振る舞うかが描かれます、
博士は何度も孤独と絶望を味わいながら、マットに助けられ、
諦めることなく、生きて地球へ帰ろうと努力する。
最初にあまりにも大きな、孤独と絶望を味わってしまうと、
人は開き直るのか、限界まで強くなれるかのようで、
次々に迫ってくる危機に対して、対応できてくるのです。
その力強い姿が女性であるのも、この映画の魅力であるので、
僕は昔見た映画「エイリアン」を、思い出していました。
あれも宇宙空間の話でしたが、この映画と同じように、
ひとりの女性が生き残って、地球へ生還するのです。
エイリアンでは、男たちはエイリアンと戦って死にますが、
この映画では、男は女性を活かすために死んでいく。
これは単なる偶然ではなく、男にはそうしたい何かがあって、
決して自己犠牲と言うようなことでは、片付かないのです。
人間というのは、それで相手が助かるのなら自分を捨ててでも、
相手を助けることを選べる、不思議な能力を持っています。
自らの命を捨ててでも、女性を救いたいマットの気持ちは、
自己犠牲と言うより、それ自体が自分を活かす道で、
死ぬことによって生きる、矛盾した達成感があるのです。
そして取り残されたストーン博士の、絶望的な孤独感が何故か、
マットの行動によって、生きようとするパワーとなり、
秒読みの困難にさえ対処して、活路を見出していく。
このあたりの不思議さが、見ていて納得がいくから面白い。
圧倒的なCGとSFXによって、描き出される映像も、
常に無重力で統一され、宇宙空間の実感を疑似体験させて、
僕らはいつのまにか、ストーン博士となってそこにいる。
人間の無力さと可能性と、できる限りのことを努力し続ける、
休む暇のない時間が、色濃く過ぎていく90分間でした。
そして最後に地球に帰還した博士が、大地に這い蹲って感じる、
重力の重さとそこにいる喜びが、僕にも伝わってきたのです。