伊江島

イメージ 1
 
沖縄の忘れられない島の一つに、伊江島があります。
1999年に、縁あって伊江島に行くようになってから、
一度平和映画祭を開催したいと思い、地元の友人と企画して、
6年目の2005年7月に、実現にこぎ着けたのです。
これはその1年前の東京平和映画祭で、高岩監督による、
「教えられなかった戦争・沖縄編」を見たときから、
伊江島でも、平和映画祭を開きたいと思っていたのです。

僕を伊江島に呼んでくれた友人と、伊江島の友と、
そして何より、きくちゆみさんや東京平和映画祭のスタッフが、
企画に賛同して手伝っていただき、実現できたものでした。
その後僕は、同じように自らの企画で北陸平和映画祭を開いて、
「どこでも平和映画祭」を掲げ、活動していたのです。
結果としては新しい出会いがあったと同時に、挫折もあり、
嫌なこともあったのですが、そのすべてが学びでもあったのです。

沖縄と平和の問題を、この時から強く意識するようになり、
日本における沖縄の位置が、どれほど疎外された場所であるか、
決して忘れてはならないことを、思い知ることになりました。
残念ながらこの平和映画祭では、大きな裏切り行為もあったので、
その後は島に行かなくなってしまったのですが、良い想い出も多い。
だけど行かなくなってしまえば、忘れ去られてしまい、
あったことも無かった如く、記憶から消えていってしまいます。

月日が経って、嫌な思い出は少しずつ忘れてくると、
いい思い出が懐かしくなって、久しぶりに訪れたくなりました。
姫に交通費がかからないうちにおいで、と誘われたのも、
一つの決断をするのに、ちょうどいいきっかけになったでしょう。
妻にとっては初めての伊江島ですから、昔のことは忘れて、
今の島の様子を楽しみながら、旧友と親交を温めてみたのです。
結局他の人には会うこともなく、静かな2日間となりました。

2000年から2004年に掛けて、ちょうど石垣島では、
当時の定宿「南の北の宿」が身売りして、泊まる場所が無くなり、
その代替え地としても、伊江島へ頻繁に来ていたのです。
その最後に平和映画祭を企画して、一つの卑劣な行為もあり、
親しかったはずの人が、信頼を失ったのをきっかけに、
僕も一つの踏ん切りとして、この島へは行かなくなったのです。
そしていつのまにか、9年もの歳月が過ぎていたのです。

妻と子を得たことによって、様々なことがリセットされて、
伊江島にも、拘り無く行けるようになったのかも知れません。
それでも昔の思い出の場所には、行きたいとは思いませんでした。
ビーチで姫と海を楽しみ、ワジーやタッチューを見に行って、
昔はよく知っていながら泊まったことのない、土の宿で、
のんびりオフの時間を楽しむだけで、時は流れていったのです。
人はともかく、島の自然は昔も今も美しくありました。