梅雨入りはしたけれど

イメージ 1
雨を待つ馬畑
 
昨日突然「梅雨入りしたらしい・・・」、と気象庁から発表があって、
北陸地方は梅雨になりましたが、雨はほとんど降っていません。
田植えを考えれば、もう少し長雨は待って欲しいのですが、
先に植えてある大豆などを考えれば、早く降って欲しいところ。
でも明日は庄川で、この地方では一番早い花火大会もある予定なので、
やっぱりもう少し、本格的な雨は待って欲しい気がします。

地域によっては、激しい雨の被害も出ているようなので、
贅沢なことも言っていられませんが、雨の中での田植えは厳しい。
考えてみれば、機械化される前の農家は雨の中で田植えしたはずで、
当時の状況を思えば、やっぱり今のありがたさを身に染みて感じます。
だからこそ農家の人は、自然農などと言っても警戒心があるし、
昔の過酷な農業に戻りたいとは、誰だって思わないでしょう。

それなのにどうして、僕らのような自然農を始める人が増えたのか、
考えてみればこれも当然で、農薬や肥料による不自然な作用によって、
身の回りの自然が痛めつけられ、生き物が極端に少なくなった。
さらには人間でさえ、自然環境から被害を受けるようになったので、
これではいけないと考えた人たちが、試行錯誤して自然農になったのです。
同じ自然農と言っても一様ではないけど、自然に還ろうとするのは同じ。

すでに日本中の多くの地域で、自然農への取り組みがあって、
農業者の中でも、これを無視する人は減ってきています。
つまり流れとしては、農薬や人工肥料に頼らない方向性がありますが、
長年のJAの指導は相変わらずで、ここに矛盾も生じている。
そうして最近のJAは、婦人を中心に組織再編が進んでいるようで、
新しい流れは、新しい人たちによって表現されようとしています。

思えば、僕らは百年前どころか千年前とさえ同じように、
作物を植え付けては、雨が降るのを待っているのです。
この変わらなさこそ大切で、淡々と受け継がれる暮らしの中に、
僕らの暮らしを支える、真に大切なものが見え隠れしているのです。
いのちを支える、こうした真理を大切に守ることが、
生き方を考える自然農の、本当に求めるところなのかも知れません。