今年も畦塗り

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毎年恒例の畦塗りを、今年も実施しました。
隣の田んぼが写っていますので、わかると思いますが、
近所の田んぼは、ほぼ田植えが終わってきています。
そして僕らの田んぼは、苗を自然に育てたので、
最近ようやく田植えのできる状態に育ち、畦塗りです。
これで明日から、田植えができるようになりました。

もう一つの田んぼは、道路に囲まれた三角地なので、
畦塗りが必要ないために、始めようと思えば、
苗次第でできるのですが、まだ何もしていません。
大豆の植え付けが遅れて、ようやく明日で終わるので、
それから準備をして、始めることになります。
畦塗りが必要ないのは、ありがたいけど、
何か一つ忘れ物をしたような、寂しさもある。

自然農と言えども、食料を育てるわけですから、
収穫が大切であることは、言うまでもありませんが、
それと同じくらい、農作業の課程が大切です。
何をどのように育てるかを、十分に自覚して始め、
作業が始まってしまえば、淡々とそれをこなす。
収穫を増やすことより、農作業を楽しむことによって、
生き方にも関わり、価値が豊かになってくるのです。

人間に関わることはすべて、物であるよりも相であり、
物であっても相なので、その相を知るためにこそ、
物語性が重要になってくる、と考えられます。
であれば何もしないで、お金だけで手に入れる物より、
少しでも多く関わって、手間暇掛けたものが大切で、
手間暇こそが、物の価値を高めてくれるのです。
僕らは如何に、この手間暇を掛けられるのか・・・

合理化を求む現代農業では、畦塗りなどない方がいい、
と言うわけなのかどうか、今では畦塗りも見なくなって、
ハサ掛けや足踏み脱穀と同じように、失われます。
そうして大規模化と機械化が進み、農民はいつのまにか、
機械とスケジュールの管理で、収入を得るのです。
公務員と同じような安定を求めて、収入が安定して、
そして失われたものを、感じないではいられません。

そんなわけで、僕らはたぶん来年も畦塗りして、
暑いのきついの腰が痛いのと、愚痴をこぼしながらも、
また人が集まって、笑顔で共同作業をするのです。
過去に何百年と続いてきたことを、切り捨てるのでなく、
楽しみに転化して、受け継いでいくときに、
何か大切な物が、付いてくる気がするのです。