自然農・春の全体会

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八尾のコミュニティーセンターで、毎年恒例になっている、
「富山自然農を学ぶ会」の、春の全体会がありました。
毎年一度この時期に、今年一年の学びの場の予定を話し合い、
僕らの「頼成学びの場」では、区画割りなども決めます。
そして午後からは、月に一度の自然農座学が行われ、
今回はビデオを一本見て、そのあと自由に話し合いました。

今年の頼成学びの場に関しては、去年と大きな違いはないので、
話し合いは順調に進み、田畑の区画割りなども決まりました。
これで今年の体制と予定は決まったので、今月中には、
田畑での具体的な農作業が始まり、また一年の実りを目指します。
僕ら夫婦には、この学びの場とは別に田んぼと畑があって、
こちらの方は気候の様子を見ながら、やはり今月中に始めます。

今回の全体会参加者は、ほとんど知った顔ばかりでしたが、
新顔も一人だけ加わって、勉強会での発言もありました。
勉強会では難しい話になることが多く、発言者も少ないので、
そんなときは僕も、なるべく発言するようにしています。
だけど自分では、皆にわかってもらえる話が出来ないので、
僕のことを知っている人でないと、伝わっていない気もします。

うまく伝わらない話なら、話さなければよさそうなものですが、
こうして集まって話をするのは、自分と違う考えの人と話し合って、
お互いに別の考えを受け入れることで、世界を広める価値がある。
ただ僕の場合は、こうした場においては迷い無く話しますし、
今の自分に自信を持って話すので、人によっては反感も買いますし、
話しても話しても伝わらないもどかしさで、あまり楽しくはない。

それでもこうした話し合いが、参加者とのやりとりの中で、
お互いに自己を育てる役に立つと思うから、やっぱり話すのです。
僕が何を言おうと、相手にも自分の考えを言ってもらえれば、
どちらが正しいとか正しくないとかでなく、別の世界があるとわかる。
この別世界を受け入れることが大切で、これが出来れば、
特定の価値感による支配構造や、争いなども起こさなくて済む。

大勢の人が共に生きている社会ですから、同じ価値観の筈はなく、
それぞれ違う感性があるのに、同じ価値観を尺度にするのも危険です。
自然農の世界では、個々違って一つの全体であると認識しますが、
草や虫に本来害虫がいないように、人の考え方にも本来間違いはない。
ただ具体的な行動としては、人は間違わずには生きられないので、
常に学び反省して、思い切って意見を言うことも必要だと思っています。

それは自分のためであると同時に、共に生きる人のためにも。