餅つきに集った人たち
大長谷の石黒家で、真冬の餅つきがありました。
北海道へ漁師に行っている長男が、帰郷するこの時期に、
毎年恒例になっているものですが、この時期の大長谷は雪も多く、
山の雪景色を見るのも、一つの楽しみでもあります。
と同時に石黒家の餅つきに参加すると、つきたての餅で、
様々な手料理が食べられるのも、大きな楽しみです。
北海道へ漁師に行っている長男が、帰郷するこの時期に、
毎年恒例になっているものですが、この時期の大長谷は雪も多く、
山の雪景色を見るのも、一つの楽しみでもあります。
と同時に石黒家の餅つきに参加すると、つきたての餅で、
様々な手料理が食べられるのも、大きな楽しみです。
と言っても、年末の餅つきには大勢の人が来て、
突きあげる餅の量も半端ではなく、朝から夕方まで、
ずっと餅つきが続くのですが、今の時期はそれほどでもない。
僕の場合は去年収穫した餅米の内、ミドリ米を年末に、
そして残しておいた大正餅を、今回突きあげてきたのです。
量的にも、年末の半分ほどになるでしょうか。
石黒家ではもう一度、5月頃にも餅つきをするようですが、
5月の平野地では、暖かくて餅が長持ちしないので、
僕らが参加するのは冬の間だけ、僕の餅米もこれで終わりです。
予想以上に大勢の人が集まって、ご覧の通りの賑わいで、
相変わらず小さな子どもから、60代の人たちまで、
三々五々に、これだけの人が集まって食事会になりました。
家族連れの参加者などは、自作の手料理を持ち込み、
みんなでそれも食べますから、いろんな料理が楽しめて、
それぞれがほぼ自然食品なのも、とてもありがたい。
市販の料理のような、添加物は一切入っていないうえに、
食材そのものが自然農で作られた、無農薬無化学肥料なのです。
これ以上の健康食は、有り得ないかも知れません。
先日のエコビレッジ・ワークショップなどでは、
自給自足や自然循環、自立した暮らしなどが挙げられますが、
電気もガスも無い石黒家では、あたりまえの生活です。
町中でこうした暮らしは、望んでも難しいけれど、
山で暮らせば、薪を割って沢水を引いて暮らせるのです。
便利な町の暮らしと、気持ちのいい山の暮らしを活かしたい。
町中の便利な暮らしに慣れると、山暮らしは大変なので、
憧れて試みる人は多いけど、定着できる人は少ない。
特に現代人の暮らしは、お金に縛られているので、
山暮らしでは収入のないことが、大きなネックになります。
だけど自然農を生き方とした山暮らしは、自然を守り、
人と自然の環境を整えるものだから、その価値は大きいのです。
東京などの都会では、どこかにしわ寄せを押しつけ、
食やエネルギーの自立した生活など、無理なことですが、
時代は世界中で、食やエネルギーや産物の自立が求められます。
こうした要請に応えられる田舎暮らしが、時代の最先端で、
都会生活は一昔前の価値感による、ゴーストになるでしょう。
餅つきに集まる人たちこそ、新しい時代の幸せを作る気がします。