疲れ気味ですが・・・

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来年は午年
 
年末に入ってから、町内会の役員として、
毎週のように、新年度の打合せが入ってきています。
たいしたことはしないのですが、終わるとお酒が回って、
場合によっては、自費で飲みに行くこともあるようです。
僕はそんな場には、参加したくないのですが、
いつも断っていては、事がスムーズに行きません。

そもそも忘年会とか、望年会って何なのか?
お役所の公務員などは、それでなくてもよく飲むようで、
飲まないと本音で話が出来ない、と本気で思っている人もいる。
しらふでは話せないことが、なぜ飲めば話せるのか?
もっとしらふで本音で話さない限り、女性は参加しないし、
いつまで経っても、古いことを繰り返すばかりでしょう。

それはさておいて、このところ仕事もしていないのに、
妙に疲れ気味で、体調も思わしくない感じです。
基本的には寒いことがありますが、そればかりでなく、
年末とかの所為で、ともかくゆっくりさせてもらえない。
あれやこれやとやることが目白押しで、順番にやっていると、
ほとんど休む間もなく、用事をしていなくてはなりません。

僕は自然農や、お金に頼り過ぎない生活を考えたとき、
時間をゆったりと使って、自然に近しく生きたいと思いました。
藻谷さんの言う里山資本主義は、僕も賛成ではありますが、
諸手をあげてではなく、そんなにせっせと働かなくても、
もっとゆっくり暮らしましょうよ!、って感覚が強いのです。
なるべく自分お時間を多くして、思索にふけっていたい。

これ以上の贅沢はないような話ですが、これがなかなか、
一番理解されにくいところで、理解してもらえないことなのです。
例えば家族との暮らしなら、子育てのためにもお金が必要で、
それをマネー資本主義で考えるか、里山資本主義で考えるのか・・・
とまではいいのですが、「なるべく少ない方がいい」とは、
ほとんどの人は、考えないのではないでしょうか。

実はここに、僕が考える幸せの経済学のヒントがあるのです。
人は歴史の中で、どのような状態の人が豊かなのかと考えると、
世の中のことをよく知って、過不足無く対応しながら、
自分の人間性を磨くことに、労を惜しまないで生きるとき、
もっとも輝きを増すのではないか、と思うのです。
つまり経済は忘れていられるのが、ベストだと思うのです。

普段は資本や経済のことなど忘れて、自己の思索にふけっている。
だけど生活はきちんと回って、生活に過不足をきたさない。
さらに必要なときには、周囲の人の手助けもして、
社会生活だって疎かにせず、みんなと仲良くやっていける。
こんな暮らしが、社会に余計な力を作ることもなく、
平和な安心社会を作っていける、そんな気がするのです。