「霧の向こう」上映&交流会

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様々な問題を扱った映画を上映して、上映後に交流会を開く、
僕がこうしたやり方を始めたのは、7~8年前からですが、
今ではすっかり定着して、多くの場所で意見交換が行われています。
特に3.11後には多くなって、富山県でも当たり前になりました。
そして昨日、八尾のコミュニティセンターであったのは、
映画の監督ケイコ・クルディを招いての「霧の向こう」上映会でした。

僕は残念ながら、昼過ぎまで妻が結婚式に参列していたので、
姫の相手をしていて、上映会場に到着したのは3時近くでした。
そのため映画はほとんど見られませんでしたが、ありがたいことに、
事前に主催者から、映画のダイジェストのようなDVDを預かり、
それを見ていたので、交流会には参加して話を聞くことも出来ました。
今回は監督も来られたので、話を伺う楽しみもあったのです。

交流会の意見を聞いていると、この映画の中で印象的だったのは、
地元の女子高生が、あまり被曝を意識しないで暮らしている様子で、
これは情報がちゃんと伝わっていない、教育がおかしいと言うものです。
だけど僕は以前に、地元の農業高校に志願する学生の話を聞いて、
若い人はかならずしも、被害を受けない方向へ動くのではなく、
たとえどんな状況でも、むしろ希望を求めて動くことを知っていました。

中高年の判断と若者の判断は、おのずから違っていいのですが、
経験の少ない若者の考え方や判断を、間違っていると考えるのではなく、
彼ら彼女らの考えを、応援していくことも大切なのかも知れません。
むしろ例えば経済原理で、大人の判断をしたのが原発だったとすれば、
もっと素朴に生きることを選択していれば、原発は必要なかったのです。
そんなことを考えながら、参加者の意見を聞かせてもらいました。

監督のケイコさんは、もともとは映像・舞台芸術の専門家ですが、
幼い頃から日本と縁があって、今は日本の大学で助教授をされている。
そんな彼女が3.11に遭遇して、この映画を撮ることになったようで、
様々な人に取材したインタビューが、主な内容になっていました。
その彼女から日本とフランスの違いを聞いたときに、答えてもらったのが、
フランスは情報がリアルで、市民は自分で判断すると言うことでした。

また日本とフランスの共通の流れとして、市民活動が活発になり、
国策と言った原発の判断も、経済の方向性も少しずつ変わってきている。
経済は拡大すればいいわけではなく、命に寄り添ってあるべきで、
まずは自分の生き方や、身の回りの価値観を変えていくことで、
新しい社会の方向性も見えてくる、と主催者が意見をまとめていました。
交流会は時間をオーバーして続き、僕は5時半に姫を連れて会場を出ました。