「オーロラ」上映&交流座談会

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このところ井波瑞泉寺で、様々なイベントがありますが、
今回はオーロラメッセンジャー、中垣哲也さんの映像とトークで、
そのあと交流座談会もあると聞いて、まずは行ってみました。
「オーロラが私たちに語りかける すてきなメッセージ」
と銘打った映画も魅力ですが、僕は実はそれ以上に2つのこと、
一つは瑞泉寺の活動に、何か期待できる動きがあるのかどうか?
もう一つは交流座談会で、何が話されるか気になったのです。

映画「オーロラ」は、単に映像が流されるだけではなく、
メッセンジャーという中垣さんが、映像に合わせて経験を話される、
その内容が映像にマッチして、とても魅力のあるものでした。
瑞泉寺の広い本堂の一角で、一般参拝客がお参りするのと同じ場所で、
こうしたイベントが行われるのは、ちょっと不思議な感じでもあり、
これからの瑞泉寺の流れを占う、意欲的な試みだったと思います。
その意欲は交流座談会で、さらに明確に見せてもらいました。

「環境問題や日本の未来を視点を変えて考えてみませんか」
とキャッチコピーがありましたが、これだけでは何が話されるのか、
ともかく聞いてみないことには、わからないのが現代です。
ところが話を聞いてみると、彼の元々の職業である放射線技師として、
福島での原発事故によって見えてきた、日本のおかしなところが、
僕らにもわかりやすく、同じ感覚で話されたのが印象的でした。
その感覚はアラスカの自然の中で、研ぎ澄まされたのでしょうか。

中垣さんは、福島原発で露呈した日本の現状社会に対して、
とても未熟で、先進国とは思えないご都合主義社会だと言います。
例えば世界唯一の被爆国として、被曝には注意深くある国だったのに、
いざ事故が起きてしまうと、必要な情報さえ隠蔽してしまい、
それによって被害が拡大しても、誰も責任を取らない無責任な国。
世界の先進諸国では、放射能の情報開示は当たり前の時代に、
都合の悪いことは一切流さない、いびつな政府やマスコミの姿。

頻繁に北米カナダやアラスカと往来し、日本の情報を海外で見ると、
海外ではあたりまえに出回っている情報が、日本では見られず、
日本独特で特殊な情報が、ケアされた情報として出回る不思議さ。
それもどんなケアかと言えば、人間の経済が中心なので、
人間以外の生き物のこととかは、まったく顧みられないし、
経済界の自分勝手な情報で、経済的利益さえ上がれば何でもあり。
いったいいつから日本人は、こんな人間になってしまったのか?

中垣さんの主張は、ほとんど僕の主張と変わらないものでしたが、
特に放射線の専門家として、いくつかの新しい視点もいただきました。
例えば放射能α線β線γ線についての基礎知識にあわせて、
アルファ線はすぐに消えるから、安全だと思っていたら、
とんでもない間違いで、危険性ははるかに高いと教わりました。
放射能の大きなエネルギーが消えるとき、そのエネルギーによって、
細胞の遺伝子は間違いなく、大きな痛手を負うと言うことです。

新聞テレビを見ていると、こんな基本的な知識さえ伝わらず、
とりあえず安全だ、すぐに心配することはないとの呪文ばかりです。
この国はいつから迷信に満ちて、公の情報が信用できないような、
低級な国に成り下がってしまったのか、とても残念です。
電子レンジやIH調理器なども、幼いこどもや妊婦の近くでは、
決して使うべきではないし、電機メーカーの職員はそれを知っている。
だけど国が安全規格を満たしていれば、責任を問われることもない。

こうして日本中に神話と迷信が蔓延して、人々は世界から孤立し、
日本国内だけでしか通用しない、奇妙な安心感に満ちた国。
この国では、こどもたちの未来を心配することもないようで、
六ヶ所村の村議会議長は、放射性廃棄物の処理問題などは、
こどもたちの代に考えればいいことだと、公言しているのです。
この六ヶ所村では、膨大な税金が注ぎ込まれて村民の所得になり、
過剰な所得が人心を破壊して、取り返しのつかない事態にあるのです。