「9条を抱きしめて」上映&意見交換

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小矢部市民活動サポートセンターで、アレン・ネルソンさんの映画、
「9条を抱きしめて」の上映と、意見交換の会があったので行ってきました。
憲法を守る小矢部の会)が主催して、実行されたのですが、
映画を見た人は30人あまりで、意見交換までいた人はその半分ほどです。
こうした社会問題を扱う意見交換会は、どこの会場でも人が少なく、
特に若い人の参加が少ないので、この国の将来が心配になってしまいます。

映画そのものは、ネルソンさんの活動について事前に知っていたので、
その確認をするような感じでしたが、なかなか見所のある作品になっていました。
貧困から抜け出そうとした黒人青年が、軍隊に入隊するのですが、
当時はベトナム戦争の真っ只中で、かれは自分を英雄にしたくて敵を殺します。
それがたび重なると、次第に感覚が麻痺してきて敵を人間と思わなくなり、
大勢の人を殺しているのが、当たり前になってしまうのです。

だけどある作戦の最中に、身を隠すために飛び込んだ防空壕の中で、
ひとりの少女が出産する場面に立会い、心の何かが大きく変わっていくのです。
自分の中にあった人間的感覚が、呼び戻されてしまったとでも言うか、
やがて彼は帰国しますが、極度のPTSDで普通の生活が出来なくなります。
ひとり家族の暮らす家を出て、ホームレスの生活を続けますが、
古い友人に誘われて、小学生の教室でベトナムでの体験を話すことになる。

そのとき子どもたちの一人から、人を殺したのかと聞かれて絶句し、
思い悩んだ挙げ句に、小さな声で「殺した」と答えるのですが、
それを聞いた子どもたちは、彼を非難するのではなく一緒に泣いてくれる。
この体験が契機になって、彼はやがて自分の体験を人に話し、
戦争の恐ろしさを伝える伝道師となって、さらに日本の憲法9条を知り、
これこそ人類の叡智の結晶のように思い、9条の価値をうったえていくのです。

日本は憲法9条があるおかげで、戦争の何たるかを知らずに暮らしており、
同じ日本人の中には、これを平和惚けという人もいるのですが、
ネルソンさんはむしろ肯定的に、人類のめざすべきところと考えたようです。
同じ人の手が拳にもなれば、手のひらを合わせて平和を祈る道具にもなる、
人間にとって戦争と平和は、どちらに転んでも不思議はないのだから、
どちらへ行くかを決めるためにも、事実を知る必要があると考えられます。

その後の話し合いの中でも、僕が一番気になったのは若い人の環境で、
今の10代は過酷な現実を教えられることはなく、戦争も平和もムードでしかない。
生身の戦争体験のような話は、避けられるものなら避けたいというのが本音で、
学生も生徒も本当の戦争の姿を知らないままに、戦争を英雄の証のように考えます。
それはまさしく若い日のネルソンさんで、今や日本がそうなろうとしているのか、
若者の貧困は確実に現実化しており、それを拾う軍隊が整備されているのです。

僕らはこの危険な現実を、どうやって変えていけばいいのか?
まずは自律した市民の力を付けて、政府やマスコミに流されない情報を持ち、
ネルソンさんのような活動を少しでも多くの人に紹介して、意見交換をしていく。
おかしな経済政策に惑わされずに、金銭経済に溺れない生き方を広めて、
いけないことはいけないとはっきり言えることこそ、戦場で大勢の人を殺すより、
どれだけ勇敢な行動かを、老若男女の共通認識にしたいと思うのです。