成長する一本苗

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6月8日のブログで紹介した、稲苗の一本植ですが、
http://blogs.yahoo.co.jp/isop18/63705164.html
一ヶ月が過ぎて、活着から分蘖(ぶんけつ)が進んだ結果、
この写真のように、立派な稲の子どもに成長しました。
これからさらに分蘖が進み、背丈も伸びて大きくなると、
やがて花が咲いて、いよいよ稲穂の実をつけることになります。

僕が沖縄に行っている間に、これだけ成長したわけですが、
同時に草も生長していたので、草はしっかり刈り倒しました。
自然農では、基本的に草も敵ではないと考えますから、
どのように活かすかが、思案のしどころとなります。
多くの人がやるように、僕も草は刈り倒して泥に埋めて、
そのまま朽ちて、やがて肥料の一部になる循環です。

草を敵としないと言っても、刈らずにいれば稲の栄養を奪い、
稲よりも強い草があれば、稲の生命力は次第に衰えてしまいます。
「敵としない」には、「味方につける」必要があるわけですから、
そのためには人間が介入して、草を養分にしてやる必要があるのです。
モンサントのように、除草剤と耐性品種で生産するのとは大違いで、
最終的には大地を守り、持続可能な農の形を求めるものです。

沖縄から帰ってからも、農作業は基本的に暑いので、
朝早くに田畑へ出向いて、午前中だけの労働を基本にします。
それでさえも、朝ご飯のために帰宅する時は汗だくで、
シャツを着替えて出ていくのが、当然のようになってしまいました。
これから8月いっぱいまで、こうした暑さが続くのでしょうから、
午後は基本的に、家でゆっくり過ごすか車で回る用事です。

やるべき事は季節に合わせて、次々にあるのですが追いつかず、
季節に追われて毎日の日々を凌ぐのが、僕の暮らしそのものです。
好きなことだけやって暮らすうちに、やりたくないことだって、
引き受けることは出てきますが、それもまた仕方のないことです。
人の絆が人間社会の基本であれば、維持するしかないので、
近視眼の好き嫌いではなく、やるべきことはやればいいのです。

毎年のことですが、夏旅から帰るとテンションがさがり、
もう今年一年が終わったような、さびしい思いもするのですが、
実際の一年は、ようやく半分が終わったばかりでしかありません。
これからさらに6ヶ月間を、あくせくしながら凌いでいって、
これが僕の人生と言えるまで、生きていこうと思っていますが、
はてさてどこにエンドマークがあるのかは、神のみぞ知ることです。