田んぼに蓮華草

イメージ 1
 
昔はあたりまえに見られた、田んぼの蓮華ですが、
今は日本中で、めったに見られなくなりました。
蓮華の花が咲き始める前に、田んぼに水を張ってしまい、
それが当たり前になったのは、最近のことなのです。
昔の田んぼには、様々な生き物が生息していて、
草花と小動物の、楽園のような場所だったのですが。

今は生産性が優先するので、蓮華の花のことや、
小動物の生息する環境のことなど、誰も気にしません。
お米がたくさん取れることが、何よりも優先されて、
誰もこの常識には、逆らえなくなっているかのようです。
「人はパンだけに生きるのではない」の教えなどは、
「ますはお金を稼いでから言いなさい」と諭されます。

それでは、どれだけ稼げばお金の心配が無くなるのか?
と思って見ると、いくらお金があってもお金を欲しがる、
そんな人ばかりが目立って、お金中毒のようです。
今日は頼成で、自然農学びの日だったのですが、
雨の中をやってきた新人が、お金のことを切り出して、
石黒さんは、お金心配ばかりするのは中毒だと言いました。

今日寝る場所や、明日の食べ物がないというなら、
深刻な問題であって、早く解決しなければなりません。
だけど今日寝る場所も、明日の食べ物もある人が、
お金の心配ばかりしているのは、中毒だと言うのです。
たしかにお金がなくても、住む場所と食べ物があれば、
後のことは、なんとかやっていけるはずなのです。

だけど現代では、なにしろお金の心配が優先して、
お金さえあればなんとかなる、と思い込んでいる人が多い。
アル中はお酒のことだけ、薬中は薬のことだけ心配して、
その他のことが見えなくなって、囚われのに身なっている、
それと同じように、お金中毒はお金に囚われている、
石黒さんはそのように、説明されていたのです。

本当に必要なお金と、中毒になったお金とは、
何がどう違うのか、中毒者には絶対にわかりません。
自分が中毒かどうかを知るには、一歩離れて、
自分が何者か、いのちとは何かを知る必要があるし、
これがわかっていれば、自分には何が必要かがわかり、
お金に対する囚われから、抜け出すことも出来るのですが、

これがなかなか難しく、出来る人は少ないのです。
だけどこうした囚われから抜け出すと、視野が開け、
蓮華の田んぼが、美しい新世界にも見えてくるのです。