餅つきも世代交代です
大長谷の石黒家へ、恒例の餅つきに行って来ました。
今年は自分のみどり玄米餅のほかに、妻が作った大正餅も、
玄米餅にしてついたので、全部で3臼ありました。
お天気は上々でしたが、道路のコンデションは悪くて、
軽四の車は、いくら四駆でも車輪が取られます。
そこをなんとかハンドルで切り抜け、1時間半掛けて、
ようやく石黒家に辿り着いて、餅米を蒸します。
今年は自分のみどり玄米餅のほかに、妻が作った大正餅も、
玄米餅にしてついたので、全部で3臼ありました。
お天気は上々でしたが、道路のコンデションは悪くて、
軽四の車は、いくら四駆でも車輪が取られます。
そこをなんとかハンドルで切り抜け、1時間半掛けて、
ようやく石黒家に辿り着いて、餅米を蒸します。
僕らが一番乗りでしたが、僕らの米を蒸している間に、
いつものように、次々に家族連れがやってきて、
お昼頃には大勢の人たちで、石黒家は大賑わいでした。
基本的に持ってきた餅米は、自分たちでつきますが、
僕のようにあまり体力がないと、石黒家の兄弟が、
手分けして手伝ってくれるのが、ありがたいですね。
おかげで自分では一臼がやっとの僕も、みんなの協力で、
なんとか3臼を、つき上げることが出来ました。
緑米も大正餅も、全部玄米でついて仕上げますから、
水に浸しておく期間も、3日3晩以上になります。
僕は4日前の夕方に水に漬けて、当日の朝に水から上げ、
それを鍋ごと持って、大長谷の石黒家へ行くのです。
去年までは、主に次男か三男がついていたのに、
今年はどうやら、四男の幹太郎が力を付けていて、
一人で8臼突き上げたと言うから、驚きです。
彼はまだ、普通で言えば中学一年生ですからね。
餅つきが終わった後は、山へ松の木取りに行きました。
門松に使うもので、今年は小さな門松ですから小さな松。
竹の方は、先日「よへさ」で一本いただいてきたので、
それを6つに切って、三本ずつ束ねたものを中心に、
いろいろ組み合わせて、門松らしく出来上がっています。
ただ松の木がなかったので、山へ行ったついでに、
小振りの松を2本ばかり、切り出してきましたから、
これで門松は、明日にも完成するでしょう。
今年もあと2日ですが、彼女と暮らしていると、
ゆっくり自分の時間が持てなくて、考える時間が少ない。
だけど何をするにも、新鮮な感覚で接してくれるので、
ヘタな考えに浸っているよりは、有意義かも知れません。
何をして暮らすのかと考える時、今の社会的な価値観では、
よく考えれば納得出来ないことばかりで、それを彼女は、
最初から常識に囚われずに、自分の思った通りにする。
僕はそれをサポートして、発見を重ねるのです。
大長谷の石黒家に集まってくる、自然農のメンバーでは、
お腹の大きな女性が増えて、来年は出産ラッシュです。
今日も子どもたちが大勢集まっていたし、妊婦だけでも、
3人はいましたから、来年も子どもは増えるでしょう。
そして10年もすれば、また新しい子どもたちが、
次々に大人の手伝いをして、世代交代していきます。
この当たり前のことが、貴重になった時代です。