望みなきにしもあらず
今年はどんな年だったかと言えば、失望の年で、
3.11事故の後に垣間見た、日本の再生は叶わず、
多くの人が望んだと思われた、この国の再構築は、
民族主義と守旧派の台頭で、幕を閉じようとしています。
いわば、長いものには巻かれる体質が頑強に続いて、
新しい社会秩序を求める声は、民族主義に吸収されて、
日本文化は経済主義に翻弄され、消え去ろうとする。
3.11事故の後に垣間見た、日本の再生は叶わず、
多くの人が望んだと思われた、この国の再構築は、
民族主義と守旧派の台頭で、幕を閉じようとしています。
いわば、長いものには巻かれる体質が頑強に続いて、
新しい社会秩序を求める声は、民族主義に吸収されて、
日本文化は経済主義に翻弄され、消え去ろうとする。
こんな絶望的とも言える状況を、嘆く人は多いけど、
それなら嘆く人の生活は、どうなのかと見れば、
ほとんどの人は、やはり経済主義から逃れられない。
少しでも多くお金を稼ぐことで、生活が豊かになると、
そう思い込んで、経済主義に巻き上げられている。
自然農をやる人でさえ、どうやってたくさん稼ぐか、
稼がないと生活できないと、思い込んでいる始末です。
この経済主義を脱しないと、みんなが幸せになることは、
どうしても不可能で、人を押しのけて自分だけが勝つ、
一部の強者が、大勢の弱者を支配する構造が続くのです。
だけど様々な市民活動、社会活動をする人たちも、
こうした根元的な問題に、気付いている人は少なくて、
まして自らが、問題を起こさない生き方を実践する人は、
本当に少ないのが、現実社会と言えるでしょう。
その問題を起こさない生き方を、真剣に考えて、
自ら実践している貴重な人が、大長谷の石黒家族で、
僕はそれを信頼して、10年以上の親交を続けています。
また同じように、自らの生き方をもって矛盾なく、
問題を起こさない生き方に、挑戦している人たちが、
僕の周りには、何人もいるのがとても嬉しいし、
こうした人たちが、さらに増えることが希望です。
もとより、こうした古くて新しい生き方の基本は、
世界中に広がっているし、わかっている人は多いはずで、
そんな国際人の一人に、高城剛さんがいるのは心強い。
彼は10月から3ヶ月間にわたり、FM放送を通して、
ノースポンサーによる、報道番組を続けてきました。
スポンサーに毒されて、大切なことを報道しない放送に、
風穴を空けようと、企画された番組だったのです。
彼は自らが足を運んで見た情報で、スペインを中心に、
新しい文化の在り方を、素朴で人間的な感覚で伝えます。
スペインの経済危機の本質から、金融の正体を見抜き、
あるいは原発報道の日本から、日本のマスメディアに対し、
それでいいのかと、辛辣な警告を発したりもしているのです。
毎日届く彼のメッセージから、日本の閉鎖的な状況を知り、
自分の生き方を、あらためて考えた人は多いでしょう。
こうした放送は、まだあまりにも少ないのですが、
まったく無いわけではないし、ネット放送も増えました。
今まではオンエアされなかった、経済界に不都合な情報が、
毎日のように、見ようと思えば見られる世界が生まれている。
この貴重な財産を生かすも殺すも、私たちの生き方次第で、
たとえ細々として、行方も知れない道だとしても、
「望みなきにしもあらず」と、希望の光はあるのです。