「快楽上等!」

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上野千鶴子さんの本を、久しぶりに読みました。
湯山玲子さんとの対談本なので、読みやすいのですが、
内容はしっかり上野さんらしいもので、自由な感じです。
「快楽上等!」と言う本で、副題が~3.11以降を生きる~
となっていましたから、少しはいつもと違っていたようです。
第3章あたりまでは、何も引っかかることなく読み進んで、
第4章になって、やっぱり面白い視点が出てきました。

湯山さんが向上心のようなことを、持ち出したところで、
上野さんはそれを、勝間さんの効率優先の話しで読み解く。
だけど湯山さんは効率ではなく、全人格的な向上を持ち出します。
効率や費用対効果を最優先する人たちを、文化的教養が欠落し、
奇跡的に「生涯の一つ」に遭遇することが出来ない輩と見るのです。
上野さんはそれを、ボケの世界で見られるのではないかと言って、
この微妙は飛躍が、次第に面白味を増してくるのです。

もちろん上野さんの本ですから、性の話も出てきますが、
ロマンチックラブの根強い人気で、心が一つ捻れているのか、
「私を丸ごと受け止めて欲しい」って感覚を、オウム幻想と呼ぶ。
たしかに男と女の世界では、男は寛容で懐の広いことが良いとして、
女のすべてを、黙って受け止めることが求められているのです。
だけどそんなこと、神様でもなければ出来ないことだから、
オウム幻想と呼ぶようですが、これは女の暴力でもある。

また面白かったのが、最近マグロ化する男たちの話で、
日本ではセックスよりも、マスターベーションがタブーだとか、
男たちは生産業の技術革新によって、サービスを受ける側になり、
自分で努力してセックスする、あるいは女性を喜ばすことが出来ない。
そう言われてみれば、相手のあるセックスは面倒くさいとして、
男も女も、自分でコントロールできるマスターベーションに走っている。
このマグロ化によって、恋愛までが面倒くさくなっているのでしょう。

40代どころか50代になっても、若作りが似合えば喜び、
「美魔女」とか言われて、得意になっている人たちも、
内面で持てないから、外面で勝負するしかない女だと切り捨てます。
たしかに50歳になって、娘と同じ若作りは何か違和感がある。
女の方はセックスが満たされていないので、若作りして迫るけど、
男たちはマグロ化して、自分で女を喜ばせるよりも、
女に喜ばせてもらうことを、期待していたりするのです。

村上春樹の小説に出てくる、はっきりしない男たちも、
自分で周りの世界を切り開くのではなく、きわめて受け身で、
相手の女次第で、どうにでもなってしまいそうなひ弱さがある。
この二人の話を読んでいると、普段から引っかかっていた、
いくつかの社会現象に対して、なるほどと腑に落ちるのです。
対話形式なので、読みやすいし簡単に世界に入っていけますが、
その内容たるや、決して軽いばかりではないものがありました。