「それをお金で買いますか」

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今年5月に発行された、マイケル・サンデルの本で、
「それをお金で買いますか」(鬼澤忍・訳)を読みました。
現代のお金の問題には、大きく分けて二つ存在しますが、
その一方が、果てしなく膨らむ金融経済の問題だとすれば、
もう一方が、あらゆるものを市場価値で見る経済化の問題でしょう。
二つの問題は、同じ事態の表と裏のように思いますが、
この本では市場主義の限界として、アプローチしています。

まずサンデルは“序章”の中で、1980年代から始まった、
あらゆるものをお金に換算する社会を、僕らの前に突きつけます。
・刑務所の独房の格上げ:一晩82ドル
・一人で車に乗っていても相乗り車線を利用できる権利:8ドル
・インドの代理母による妊娠代行サービス:6,250ドル
アメリカ合衆国へ移住する権利:50万ドル
・絶滅の危機に瀕したクロサイを撃つ権利:15万ドル

こうした買い物と同時に、お金を稼ぐ手段としても、
・額など体のスペースを広告用に貸し出す:777ドル
・製薬会社の安全性臨床試験でのモルモット:7,500ドル
民間軍事会社の一員として戦争に参加する:一月に250ドル~
・議会の公聴会に出席する席を取るために徹夜で並ぶ:時給15ドル~
・あなたがダラスの成績不振校の二年生なら:本一冊を読めば2ドル
さらには病人や高齢者の生命保険を買って、死亡給付金を受け取る。

一昔前には考えられなかったことが、今では堂々と取り引きされて、
この30年間に膨らんだ市場は、実質経済を凌ぐほどなのです。
生活空間のすべてが売り物になった、こうした市場に対して、
主に二つの理由から、好ましくないと思っている人が大勢いる。
サンデルは、まずその正体を正しく掴むことから始めます。
一つは80年代から始まった、市場勝利主義と言えるもので、
この流れは、ウオール街の金融危機によって表面化したはずでした。

ところがこの金融危機の問題は、市場主義の問題としてよりも、
政府の金融政策の失敗として受け止められ、根本的な解決に至りません。
それどころかより多くのマネーを求めて、政治ティーパーティーが、
盛んに催されるようになり、富裕層はより豊になっていったのです。
同時にウオール街の占拠運動のような、反発もありましたが、
実際の政治を動かす公的言説の多くは、啓発や説得の能力を失い、
税金と財政赤字について、相も変わらぬ論争を続けているのです。

なにやら日本の話のようでもありますが、これはアメリカのことで、
日本もアメリカも政治的には、最重要課題への取り組みがないのです。
なぜこのような事態になってしまっているのか、と考える時に、
市場勝利主義と平行して、市場にはそぐわない道徳的価値について、
それはどのようなもので、なぜ市場主義と相容れないかを考えることが、
これからの社会を考える時に、とても大切な問題となってくるのです。
この本では、そこのところがうまく浮き上がらせてあるのです。

第1章「行列に割り込む」では、様々な順番待ちがダフ屋行為によって、
「お金さえ出せば待たなくていいことになる」ことの意味を考えます。
経済的には何ら問題が無さそうな、こうしたサービス商売について、
市場主義ではない善悪の問題として、疑問を指摘するのです。
また第2章「インセンティブ」においては、いわゆる奨励金が、
様々な社会的問題を解決する手段として、契機付けにナルトしても、
そうしたインセンティブがもたらす、道徳的混乱を指摘します。

さらに第3章「いかにして市場は道徳を閉め出すか」において、
お金で買っていいものと、お金で買えば“本質”が失われるものに分け、
ボランティアや寄付行為が持つ意味を、裏側から考えさすのです。
ルソーの言葉として「公共サービスが国民の主要な仕事でなくなり、
国民が体ではなくお金によって奉仕するようになるや、国の崩壊は
遠くない将来に迫っている」との言葉は、昔も今も真実でしょう。
例えば愛情は、使えば使うほど減ることなく増えるものだと言うことです。

第4章「生と死を扱う市場」に至っては、現代の金融商品である、
用務員保険、バイアティカル、デスプールなどを取り上げて、
人が死ねば儲かる商品のいびつさを、生命保険の歴史と共に紹介します。
そして最後の第5章「命名権」では、野球の歴史を引き合いに出し、
あらゆるものが商品化されるとは、一体どういうことなのか、
そこで僕らは何を失うことになるのか、あらためて検証するのです。
商品化で僕らが失うものの大きさに、驚くことになるでしょう。

市場主義の勢いは、今も留まることなく進んでいる時代に、
僕らはその「何が問題なのか」を、正しく指摘して議論する必要がある。、
富めるものと貧しいものが分断され、対立を招くのを見過ごさずに、
公共の場において一緒になり、ぶつかり合う社会を維持すること。
そこでお互いの差異を受け入れ、共通善を模索することで、
対立を越えた社会を気付くことが出来る、とサンデルは指摘するのです。
金融による過剰な資金をどうするかを除けば、当たっていると思います。