「ベールを脱いだ日本古代史」

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いつも日本の古神道が、僕の中で光を持ちながら、
それがどのようなもので、天皇家神道とどう繋がるのか、
何かよくわからないまま、今日まで来てしまいました。
その理由のいくつかは、古事記日本書紀だけではわからない、
いわゆる神話の部分が謎で、うまく理解できなかったのです。
ところが今回、坂本政道さんの「ベールを脱いだ日本古代史」を読むと、
その不明だったところが、納得行く形で書いてありました。

縄文時代末期から、大和に王権が成立するまでの時代について、
これほどうまく説明した本は、かつて読んだことがないし、
この情報はトートと呼ばれる、高次元意識との交信で得たと言う。
したがって、どこまで信用していいかは慎重に読んだつもりですが、
著者の坂本さんは、教科書的な歴史認識では説明の付かない、
いわゆるグレーゾーンについて、しっかりした知識を持ちながら、
そこに残る謎を解き明かす要領で、トートの話を持ってきます。

トートが何であるかは、僕にはわからないではないのですが、
それが何であろうと、神話にある高天原朝鮮半島弁韓として、
そこから日本にやってきたアマテラス族が、皇室天皇になる。
しかしそれ以前に、三輪山周辺にはポジティブな民族が住んでおり、
この人たちは、最初に来たアマテラス族を取り込んで栄えていたのに、
どうしてもこの地を征服したいアマテラス族が、次々に人を派遣し、
ついにはこの人たちを征服、支配したのが天皇の始まりなのです。

ここで大切なのは、朝鮮半島からやってきたアマテラス族以前に、
大きな勢力を持つ民族がいたことで、彼らは自然と一体になることで、
直接神と対話をして、喜びと共に他者への奉仕と調和の内に生きていた。
ところがアマテラス族はネガティブな民族で、恐れを基に発想し、
競争や対立、分離、統制といったことを念頭に活動する民族だったので、
ちょうどアステカ文明が、スペインの武力に駆逐されたように、
穏やかで調和を重んじた先住民族を、封じ込めてしまったのです。

このとき大量の巫女が殺され、その祟りを恐れた天皇が、
巨大な古墳を持って鎮魂したのが、今も続いている儀式だとか。
僕はこの天皇家以降の神道には、あまり関心はないのですが、
それ以前の人々が、直接神と交信していた古神道の世界に関心がある。
彼らは神々と一緒に生きていたので、それ以上の神話を必要とせず、
誰からも支配されることなく、天地一体となって暮らしていたのです。
この感覚こそ、僕が思う古神道の真髄となる人の在り方なのです。

この本には先史として、ムーの人々や龍型シリウス人が出てきますが、
それは事実かも知れないし、僕には何とも判断は付きません。
だけどこの縄文系日本人が、自然との共存を基に文明を築いてきた、
その系譜として、僕らは自然と共に生きる気風があるのだと感じます。
この本では出雲族も縄文族と同じく、調和を重んじて暮らしていたので、
武力を持って制圧するアマテラス一族に、制圧されてしまうのですが、
人々の心に残る思想だけは、取り払うことが出来なかったのでしょう。

一読しただけでは、内容のすべてを理解したとは言えませんが、
伊勢神宮にはどうして内宮と外宮があるのか、その理由は、
表立ってはアマテラスを祭りながら、裏で密かに大物主神を祭る、
祭ると言うよりは、祟りを封じ込めているのだとも指摘しています。
作者不詳の能「三輪」で、終わりの部分の歌にあるのが、
「思えば伊勢と三輪の神、一体分身の御事、今更、なんと、いわくらや」
これこそ伊勢神宮における、千三百年の真実なのでしょうか・・・

まるで新しい宇宙、一つのパステージを示してくれる、
すばらしく叡智に満ちた本だったと思います。
 
 
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