婚活を見ながら

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出典:マッチ・ドットコム・ジャパン
(※ この図は、クリックすると少し拡大して見やすくなります) 
 
人は一人で生きていても、どうしようもない、
まことに安定しない、さみしい生き物のようです。
様々な形で人と付き合い、社会を形成して、
持ちつ持たれつ、なんとか安定して活きている。
その基本は親子であり、親子を作るのか男女の関係で、
人間のなす事はおおかた、男女の相剋と言えるでしょう。

最近流行の婚活を見ていると、いろいろ条件があって、
僕なんかは、二重三重に婚活の条件から外れている。
と言ってもこれは、行政や企業が行う婚活に参加する場合で、
たとえば20歳~40歳で、安定収入がある人になります。
しかし人間本来の有り様から見れば、年齢に関係なく、
職業や収入にも関係なく、人は誰でも相手を必要としています。

おおかたの人は、一人で何かしているよりも、
誰か相手がいて、その人のために働く方が充実するし、
誰か相手を喜ばすために、一生懸命に働いている。
同じ誰かのために働くなら、愛する人のために働きたい、
と言うわけで、わざわざ婚活などと言わなくても、
人はいつも、自分の愛を受け入れてくれる人を捜しています。

それではどうして、なかなか相手が見つからないのか?
今の人は、何不足がないから欲張りで求めることが多すぎる、
と言うことで、見つからないのでしょうか?
そもそも何を求めて婚活するのか、自覚はあるでしょうか?
僕らは本来一人では生きられないので、必ず誰かと手を携えて、
それによって、活きていく上での安心を得ています。

だけど現代社会は、そうした絆をお金で済ませてしまうので、
お金に不自由がないことで、自分に何が必要なのかが、
見えなくなってしまっているのではないか、と思うのです。
僕は今の彼女と、2年3ヶ月前に知り合いましたが、
お互いに求めるものが同じだと、なんとなくわかりましたから、
それを確認することで、少しずつ親しくなっていきました。

婚活のように様々な条件はなかったので、自分に正直に、
お互いの求めているものを探るだけで、関係は深まりました。
小さな宇宙人のアミが、僕らの仲を取り持ってくれたので、
僕は心のままに、大胆になれたようにも思います。
そのあとで、仕事のことや収入のことや年齢のことや、
様々な現実が出てきましたが、大きな障害にはなりませんでした。

と言っても、僕ら二人には障害とは思わないことでも、
周囲の人たちには、とんでもない関係に見えたかも知れません。
あるいはそうした障害こそ、愛を確認する糧だったようで、
僕らは本当にお互いを必要としているのか、何度も確認しました。
それはお互いの孤独を知り、その孤独に寄り添うことで、
今の悲しみを乗り越えられると知る、道程だったでしょう。

2年を経た頃に、僕らはさらに新しい領域へ踏み出し、
無理をしないでも、少しずつ自分たちを解放しています。
本当に大切な愛なら、それを確認することが大切で、
雑誌やテレビの広告にあるような結婚式は、滑稽に見える。
いったいあのセレモニーに乗っかることで、何が得られるのか、
まるでお金を払って広告塔になるような、おかしな感じ。

とは言っても、世間がそれを当たり前だと思っていれば、
僕らが式を挙げないことは、おかしな二人だと思われてしまう。
幸いなことに、実際僕には式を挙げるようなお金もないし、
結婚指輪を買うお金もないので、不本意なことをしないで済みます。
あらためて何が必要か、二人で考えて相談して実践すれば、
それがお互いの信頼になり、絆が深まるのだと思います。