灰色の巨大なマトリョーシカ

イメージ 1
 
我が家にはテレビがありませんが、時々は見たい番組があります。
たとえば27日の「報道ステーション」では、浅田次郎さんが出て、
原発と日本人”と題した、古館さんとの対談を放送していますが、
この内容をあとから聞くと、とても共感できるものでした。
対談そのものが、こちらから見ることが出来ますし、
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-2274.html
話の内容も書き起こしてありますので、見なかった方はどうぞ。

この話の中で、僕が特に共感を持って感心したのは時代分析で、
現代社会で指導者と呼ばれる人たちは、いわば経済神話の人たちです。
戦後の経済を復興させた、いわゆる敗戦を知る人たちは、
この国の未来をなんとか良いものにしたいと思い、悪戦苦闘した。
その結果として、バブルに至るまでの経済成長があったわけですが、
今のリーダーたちは、最初から経済成長と共にあったので、
反省というものがなく、どこまでもこれを維持したいと考えていた。
そして子どもたちを犠牲にするようなことを、平気でやってしまっている。

「かわいそう」とか「罪がない」と言った、情緒的なことではなく、
子どもの存在は未来そのものだから、僕らは未来をどうするか考えて、
未来に責任を持って生きていくことで、新しい時代を築いていける。
原発がなければ電気が足りない!と言って、55基もの原発を作っておいて、
これが全部止まっても、どこにも停電が起きなかったのは何故なのか?
すでに十分に電力は足りていた中で、目先の利益と雇用のために、
子どもたちの未来に、厳しい現実を引き継がせてしまっているのです。
それは戦後の日本人が、敗戦の厳しい状況を子どもたちに引き継がせない!
とする強い意志によって、日本を復興させたのとは大違いでしょう。

原発事故の後始末は始まったばかりで、今後何十年何百年と続き、
福島の事故処理はやがて伝説になり、ついには神話となって続くでしょう。
事実はチェリノブイリを見れば明らかで、放射能を防ぐコンクリートの壁は、
年月と共に腐食してまた放射能漏れが始まり、さらに外側にまた壁を作る。
この巨大なコンクリートの覆いは、石棺と呼ばれていますが、
石棺を改修することは出来ないので、さらにその上に石棺を作る。
そうやって20~30年に一度、新しい石棺を作り続けるしかありません。
まさに巨大なマトリョーシカと言えそうな、石棺の中にまた石棺です。

人間は失敗するものだから、何かを作るなら失敗しても被害のないもの、
たとえばピラミッドのようなものを作れば、未来が損なわれることはない。
むしろ数百年後には世界中から人々が訪れ、生活の糧にさえなっている。
それに比べて原発は、たった数十年の繁栄のあとに永い闇があるのです。
日本がこの先どうするかは、世界中から注目を集めている中で、
少しでも早く、脱原発による穏やかな社会を目指して欲しいと思います。