「明かりを灯す人」

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キルギスなんて国は、いったいどこにあるのか?
知っている人さえ少ないでしょう国の、映画を見ました。
中央アジアの真珠”と呼ばれるイシク・クル湖のほとりにある、
素朴な小さな村が舞台で、キルギス旧ソ連の共和国です。
中央アジア遊牧民の様子が、映画の全編によく描かれていましたが、
これが現実のことだと思うと、少々胸が痛む映画でした。

物語の主人公は、この小さな村に住む電気屋さんで、
周囲の人たちからは、明かり屋さんと呼ばれて親しまれています。
彼は貧しい人たちからは電気代を取らず、勝手に電線から盗むので、
中央の人からは睨まれますが、村長とは親しくしている。
そんな彼の夢は、風力発電で村人の電気を全部賄うことですが、
資金がないので、発電用の風車はさび付いたままです。

国の方針によって、経済開発が進むにつれて貧しい人が増え、
若者や力のある人は、村を離れて都会へ行ってしまう。
そんな中で、村を守るために頑張っている人たちですが、
村長が苦難の末に亡くなると、開発業者の下請けが村長になる。
このあたりから、昔からの村人の価値観が揺らぎ始めて、
明かり屋さんは、何度も無念の思いをしています。

この映画の主人公である“明かり屋さん”は、監督が演じており、
キルギスの昔ながらの良心というか、素朴な心を大切にする人を描いて、
ロビン・フッドドン・キホーテキルギスの民話のようです。
こうした素朴で正義感に満ちた人々が、実際に住んでいて、
見えぬ所で、古い村の生活を守っているわけですが、
経済時代の波は、そうした価値観を一掃してしまいます。

経済優先で村が翻弄されるとき、明かり屋さんは一つの夢を見ますが、
夢は村人の犠牲の上に成り立つと知り、我慢できずに立ち向かう。
村長が死に、親友が死に、そして最後は自分も殺されてしまうのを見るのは、
なんとも切ない気持ちになるし、救いようの無さを感じるのですが、
これが現実だとすれば、悪いのはこの“明かり屋さん”であるはずがない。
それにもかかわらず、人間社会は強いものに引っ張られていってしまう。

この映画で悪役のように登場する、開発する側の人たちは、
果たして本当に悪人なのか、国の発展を願う最先端の人たちなのか。
映画はそこの所を何も言いませんが、見ている僕らには、
どうしてこの主人公が殺されてしまうのか、理不尽さだけが残ります。
日本人の僕らだって例外ではない、経済開発で狂っていく社会に、
僕らはどんな役割を持っているのか、あらためて考えさせる作品でした。