「この空の花」

イメージ 1
 
1977年の「HOUSE」以来、意欲的な試みの作品が多く、
「転校生」「時を駆ける少女」「天国にいちばん近い島」「漂流教室
と話題作を次々に発表してきた、大林宣彦監督の最新作が「この空の花」。
しかもこの作品では、原作から脚本、監督、編集までやっていますから、
これぞ大林ワールド!って感じの、挑戦的な作品でした。

僕は8月6日の記事で、「火薬がみんな花火なら」って書きましたが、
大林さんの「この空の花」でも、同じようなフレーズがあります。
それは貼り絵で『長岡の花火』を描いた山下清画伯の言葉で、
「世界中の爆弾を花火に変えて打ち上げたら、世界から戦争はなくなるのに」
と言った台詞で、これが映画の心として潜んでいるのだろうと思います。

単なる観光イベントではなく、毎年8月1日の夜10時30分から始まり、
これが2日3日と続くのは、長岡空襲の日時に合わせて復興を願うからだとか。
監督はこの話にひどく感動して、そこからこの映画の企画が始まり、
折りしも3.11の大地震があって、この映画は一つの結実を見せていきます。
僕らの戦後復興は、はたして間違ってはいなかったのだろうか・・・と。

映画には現実の長岡の様子や、中越地震から復興した山古志の様子と共に、
戦争当時の様子が、過去からやってきた元木花の案内で描き出されます。
花は『まだ戦争には間に合う』と言う舞台を上演するのですが、
このフレーズは過去の戦争への反省なのか、未来の戦争への警告なのか、
どちらとも取れるから、時代を超えた心の問題なのだとわかります。

監督お得意の、過去・現在・未来が入り交じりながら進行し、
花を中心に様々な人が、自分の生き方と共に言葉を紡ぎ出すので、
映画はとても騒がしくて、常に何かを言葉で伝えようとしてきます。
だけどそこが大林マジックで、気が付けば言葉ではないトリックがあって、
僕らは非現実的な映像の中に入り込み、それが心象風景として届くのです。

むかし前衛作品なんて言葉がありましたが。これはそうした流れを汲み、
さらに大林流に自由な時間の中で、人々の復興とは何かを問いかけてきます。
僕らは経済的豊かさをもって復興だとしたわけですが、それでいいのかどうか、
もう一度考え直しながら、人の在り方や生き方を考えるときに、
過去を美化しない、恐怖を恐怖として語り伝える勇気が必要なのでしょう。

「花火は光と音、爆弾と同じだから恐くて嫌い」と語るのは、
戦争で一歳半の子どもを亡くした、今は語り部の七里アイさんです。
大林さんはそうした語り部の声や、花火師の声を丁寧に集めて、
この作品を一つの球体レンズのように、人々の心を凝縮させています。
僕らはこの先、どのように復興していこうとしているのかを問いかけます。