明日は終戦記念日
日本は不思議な国だと思うけど、その中でも天皇家に対する尊敬の念は、
なかなか簡単には抜けられない、何か本質的なものを持っている気がします。
確かに日本は、国の建国から今日まで一貫した歴史の流れがあって、
どのように建国されたかは、建国の概念以前からある国なのでわからない。
ただ古い歴史文書には、なにやら象徴的な文言で国造りの話が出てきますから、
これはもうその時点で、国とは何かの哲学的な概念が不可欠になります。
なかなか簡単には抜けられない、何か本質的なものを持っている気がします。
確かに日本は、国の建国から今日まで一貫した歴史の流れがあって、
どのように建国されたかは、建国の概念以前からある国なのでわからない。
ただ古い歴史文書には、なにやら象徴的な文言で国造りの話が出てきますから、
これはもうその時点で、国とは何かの哲学的な概念が不可欠になります。
さらにいつも言っていることですが、今の日本における天皇家の概念は、
いわゆる象徴天皇ではありますが、これがなかなかツボに嵌ってもいます。
もともと天皇家の重要な祭事というのは、農耕民族に大切なことばかりで、
新嘗祭や神嘗祭、春秋皇霊祭などはすべて農耕に関する祭礼です。
こうした日が、勤労感謝の日とかに名前を変えながら続いていることは。
少し教養のある日本人なら、誰でもが知っている常識と言えるでしょう。
今の日本で、再び天皇を国家元首に据えて国造りをしようとする政党があり、
そのために憲法改正をして、軍隊まで持とうという改憲案まであります。
それはそれで国を思うがためなのでしょうが、果たして僕らはそのように、
憲法を変えることで新しい国造りが出来るのか、怪しいところに来ています。
日本的なものはクール・ジャパンとして、海外へものを売るときの、
重要な要素として扱われてはいても、軍事力などとは相容れません。
むしろ日本的なものを挙げるなら、アニメや漫画やファッションにあるように、
平和のうちに人々が競い合う、その結果を分かち合うためにこそあるのです。
ドラゴンボールやドラえもん、ワンピースなどのヒットは偶然ではなく、
世界の人々が望んでいることを、先見の明を持って表現したからヒットした。
そのように思って間違いないでしょうし、この時点においてみれば、
日本はまことに天皇の国であり、僕らは平和の民であり続けたいのです。
2011年終戦記念日の天皇陛下おことば(全文)
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本日「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、
さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、
深い悲しみを新たにいたします。
終戦以来既に66年、国民のたゆみない努力により、今日の我が国の
平和と繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時をしのぶとき、
感慨は今なお尽きることがありません。
ここに歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、
全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、
世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。
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