「バラッド」

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前途有望な音楽的才能を、さらに伸ばすと言う触れ込みに惹かれて、
バグパイプ奏者のジェームスは、ソーンキング・アッシュ音楽院に進学する。
だけどその学校には、特に優れたバグパイプ奏者もいないし、
それどころか、学校の近くでは何か怪しげなことが起きているらしい。
こんな風に始まる学園物語は、妖精や妖精の女王や死者の王などが登場し、
日本人には少々勝手が違う、アイルランドの伝説を色濃く漂わせている。

この手の作品にはよくあることですが、読み始めはうまく事態がわからない。
しかも今回は、『ラメント』という作品の続編に当たるようで、
そのラメントで起きていたことが、重要な鍵になっているから尚更です。
ところが読み始めてしばらくすると、その謎が逆に僕を引き込んで、
いったい何が起きているのか、もっと知りたくなる力が潜んでいました。
主人公のジェームスが思いを抱いている、ディアドラ(ディー)・モナハンは、
今回の物語の後半になって、徐々にその正体を現してきますが、
なぜそうなのかが、『ラメント』を読んでいないとわからないのです。

そしてジェームスの前に現れた、一人の人間に近い妖精ヌアラは、
人間に優れた才能を発揮させる代わりに、その寿命をいただくという。
そして多くの人間は、命を削ってでもその才能を欲しがるのですが、
ジェームスはヌアラの魔力に惹かれながらも、誘惑には負けないでいる。
そんな状況から始まって、複雑に入り組んだ人間関係が発展して行くに従い、
それぞれの登場人物の役割が、やがてはっきりしていく過程が面白い。

このソーキング・アッシュ音楽院自体が、ある目的を持って用意され、
その目的のためにサリバン先生がいて、ジェームスやディーを守っている。
実に複雑な人間関係は、『バラッド』だけを読んでいても見えてきますから、
人間関係が見えることは、この物語の全体と意味を知ることであって、
妖精の女王エリナーの邪悪な試みが、今回の物語の中心となってきます。
この女王の試みを良く思わない妖精や、ヌアラの存在によって、
ジェームスは自分が何をすべきか、少しずつわかってくるのですが、
その最後の場面では、彼は認識よりも早く予言通りの行動をしてしまう。

エリナーの企んだ人間の情を振り切って、世界の混乱を救うジェームスに、
友人のポールやヌアラ、サリバン先生が手を貸して助けることで、
自体は思わぬ展開をはじめ、二転三転して収まるところが定まってくる。
すべては予言通りに、ジェームスはなすべきことをして世界を救い、
結局はめでたしめでたしとなるのですが、その駆け引きは面白い。
さらに言えば、この展開はとても哲学的でもあって興味深いのです。

この物語では、死者の王ケルヌンノスがもう一方のパワーですが、
これはエリナーのように意志を持たず、死が無であることを表現しています。
パワーは圧倒的であり、いわばこれが魂のない物理世界になるのですが、
こうした死の理解は、日本人の精神性とは大きく違うものでしょう。
妖精もまた魂を持たず、ただひたすら踊っていたりするわけですが、
そんな妖精の一人でありながら、限りなく人間に近いヌアラが恋をする。
何かであろうとする意志が、人間でありたいと願うとき、
近づいてきたケルヌンノスを表現して言う言葉が、とても興味深い。

ケルヌンノスが一歩近づいた。無の闇の中にいる、大きな暗いかたまり。
 彼のことが見えるのは、彼が何者かであるからだ。そして無は何者でもない。》
 
 
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