猛暑!

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暑いと思っていたら、日本中が暑かったようで、
岐阜多治見の 38.5℃をはじめ、日本の8割の観測点で、
35℃以上の気温という、猛暑日になったようです。
猛暑日というのは、気象庁が定めた定義で 気温30℃以上。
しかし国連開発グループの、世界気象機関が推奨する定義では、
「最高気温の平年値を、連続5日間以上、5℃以上上回ること」
となっていますが、今の日本はこれもクリアしそうです。

日本の過去の猛暑を見ると、1942年に名古屋で39.9℃になり、
愛知県豊田市奈良県御所市など、17地点で41℃を越えています。
日本の最高気温の記録は、ほとんどこの年のものだそうですから、
いかに暑い年だったか、想像したくもないってところでしょう。
その後は1978年、1991年、2004年に記録的猛暑があり、
2007年には地球温暖化に加えて、ラニーニャ現象が、
猛暑をもたらすものとして、話題になっていたと思います。

今日の日本では大勢の人が熱中症に倒れ、猛暑による死者も出て、
新聞テレビの記事を、おおいに賑わせているように思います。
こうなるとまた、電力不足が懸念されるところですが、
日本の住宅事情はいつ頃から、こんなに電力頼りになったのか?
少なくとも1942年には、クーラーなんかほとんどなくて、
それでも人々は、暑さを凌ぐ方法を持っていたはずですし、
当時は密閉されない、風通しのいい家が良い家だったでしょう。

電力消費の最大負荷と言われるクーラーですが、これが一般家庭に、
出回るようになったのは、日本ではそう古い話ではありません。
僕が子どもの頃だって、近所の家にクーラーなんかないのが普通で、
そんなもの無くても、家の前後を開けておけば涼しい風が吹き抜けました。
家の裏を辿っていけば、近所に木立の茂る雑木林があって、
そこから吹いてくる風は、気持ちよく午睡を誘ってくれたのです。
開け放った家の中で、暑い時間には働かずに横になっていたでしょう。

いつのまにか生活様式が変わって、家は断熱密閉が普通になり、
窓を開けても近所には雑木林もなく、涼しい風も吹いてきません。
まちづくりそのものが、まち自身を快適にするのではなくて、
多くの人の我欲を満たすように、変化を遂げてきたのです。
その結果として、まちには自然の涼しさなど無くなって、
破滅的に危険な原発まで使って、自分の家だけを涼しくする。
自然豊かなまちと言っても、住宅事情は都会と変わらなくなったのです。

いったい戦後の日本は、何をめざして政治をおこなってきたのか?
言わずと知れた、お金経済の拡大路線をとり続けたのであり、
その成果としては、捨て場所に困るほど物が満ちあふれています。
日本の気候風土に合いそうにない、コンクリートの密閉住宅で、
膨大なエネルギー消費をせざるを得ない、生活様式が普及してしまい、
ますますお金に頼らないと、どうやって暮らしを守ればいいかわからない。
まちづくりの思想は閉塞状態で、そこへ猛暑は遠慮無くやってきます。

だけど今や、少子高齢化で空き家になる家が増えており、
放棄耕作地も増えていると言いますから、これがチャンスとして、
以前のように住宅地にも空き地のある、風吹き抜けるまちにすれば、
さらに風の吹きやすいように、水面を増やすようにすれば、
まちそのものが快適で、過ごしやすい生活環境も夢ではないでしょう。
将来に向けて、僕らはどんなまちを望んでいるのかを再検討して、
もっと直接幸せを実感できる、新しい豊かさを表現したいと思うのです。