「ビューティフル」

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2006年の「バベル」によって、日本でもよく知られる、
アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督の映画、
「ビューティフル」を、TUTAYAで借りて見てみました。
“絶望の中にも必ず光は存在する”と言うキャッチコピーで、
余命2ヶ月と診断された男が、愛する家族のために、
すべてを掛けて生きる!との謳い文句に、引かれたのですが・・

スペインのバルセロナを舞台に、名優ハビエル・バルデムが演じた、
ウスバルという男の人生は、あまりにも過酷で救いがない。
いったいこの作品のどこがビューティフルなのか、わからずに、
一緒に見ていた彼女が、こんな映画は見たくないと言いだしました。
見たくもない映画を無理に見る必要はないので、止めてしまい、
どうしても気になった続きは、あとで一人で見たのですが・・・

救われようのない悲惨な日々が、その後もずっと続いて、
やがてウスバルの人生は、そのまま終わりを遂げてしまうのです。
アフリカからの移民や、中国からの移民が数多く登場して、
日々を生きるために、偽造商品を製作して販売したり、
建築現場に不法就労させたりして、なんとか自分の家族を養っている。
そんな人たちを助けながら、自らも不正の中で生活の糧を得ている主人公。

人権を無視して扱われる移民に対し、何かしてやりたかった彼は、
自分のお金で暖房器具を買って、移民の居住場所に付けてやりますが、
その器具の不良で、ほとんどの移民が中毒死をしてしまう。
あるいは、警察につかまってセネガルに強制送還される男の妻子を、
自分のアパートに住まわせて、便宜を図ってやるのですが、
彼女はウスバルから預かったお金を持って、ウスバルへ帰国してしまう。

ウスバルには、精神の病で別離している妻もいるのですが、
彼女とやり直そうとして子どもを連れて行っても、失敗ばかりで、
男の子の躾のためにと暴力を振るったのを機に、再び別居する。
この八方ふさがりの状況の中で、何をビューティフルと思えばいいのか?
やるせなさの中で見出すのは、幼い頃に生き別れた父親のことで、
父との対話が、自分の人生が何だったかをわからせてくれたのでしょう。

何をやってもうまく行かない、悲惨を繰り返した人生の終わりに、
ウスバルはいつのまにか、自分の父との間に、そして子どもとの間に、
人生を掛けてもいい、大切なものが育っていたのを知るのです。
この作品での美しさとは、見てくれの外見ではないと同時に、
ありきたりなハッピイエンドでさえなく、人生の苦悶の内に見出す、
自分の人生が何だったかを、受け止める優しさのようなもの・・・

人間とは何か?、その強さと弱さ、はかなさのようなものを、
それでも生きることのすばらしさを、強く考えさせる作品でした。
 
 
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