御簾の内
夜の闇に明かりを灯して、祭りの後の余韻を味わう、
それは楽しいことより、きつかった記憶が多いでしょうし、
うまく行かなかった失敗談も、あったでしょう。
それでも昔からの習わしに従って、祭りは無事に終わり、
大勢の町人が、また新たな想い出を胸に家路につく。
こんな繰り返しで、井波は622年の歴史を持ちますが、
それは“井波”が歴史文献に刻まれてからの年数で、
更にそれ以前、奈良・平安の時代に高瀬荘は健在でした。
直接政治の歴史には登場しませんが、砺波平野の豪族、
利波臣志留志は、天平文化の東大寺を支える寄進をしている。
高瀬荘には、当時の荘園役人の屋敷跡と見られる、
広い庭を持った、貴族様式の建物跡も見つかっており、
御簾の奥を伺うと、そのまま長い歴史が浮かび上がります。
御旅所の御簾を通して、奈良時代の人々が浮かび、
千二百余年の歴史が、今目の前に広がって見えるのです。
千代に八千代に~と謡う、そのままの姿が現にあり、
それぞれの時代に、人々の暮らしぶりは様々としても、
男と女が愛し合って、子を儲けて育てた歴史です。
東大寺も瑞泉寺も、井波町も南砺市も、かくありて、
千年を過ごし、また千年を刻んでいくのが本望なのです。
たかが50年のことは、されど50年と嘯いていないで、
必要なら500年掛けて、修正していけばいいのです。
大切なのは、方向性が正しいかどうかと言うことだから、
原発の是非も、専門家ではない人々が決めるべきでしょう。