「喜びはどれほど深い?」

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昨年の5月2日に紹介した「スーパーセンス」と同じ、
人間の本質主義(エッセンシャリズム)を扱った本なのですが、
先の本ではあくまでも、特殊な能力として捉えられていたものが、
今回の「喜びはどれほど深い?」では、人間の多くの活動が、
この本質主義で理解できることが、全体を通して書かれています。
著者は哲学・心理学の学者で、アメリカ出版社協会最優秀賞など、
数多くの賞を受賞している、イェール大学のポール・ブルームさん。

と言っても、はっきり言ってわかりやすい内容ではなく、
外見が変わっても「本質としての虎」は虎として恐れる理由や、
言葉以上の本質を見抜けないと、意志疎通もうまく行かない話など、
どの例を取っても、表面だけでは理解できない内容が出てきます。
本の中では特殊でセンセーショナルな話から、ごく日常的な、
人間の空想癖とでも言えそうな、様々な思い込みまで、
この本質主義と無関係ではないことを、解説していきます。

日常的な思い込みの例として、いわゆるステータス・シンボルは、
難易度が高く、無駄で、役に立たないことに投資できる人は、
「そんなことが出来る私には価値があるのだ」と思い込む。
この話は、ちょっと読んだだけでは何の本質の話かと思いますが、
人間にとっての価値観とは、ほとんどがそのようなもので、
ブラインド・テストで水道水と見分けがつかない人でも、
それがペリエの水だと知ると、急に美味しいと言い出すことです。

またほとんどの人は、多くの場合に直接接触したものを好み、
知らない人よりは知っている人、慣れ親しんだものに愛着を持つ。
いかに容姿端麗な人でも、それよりは知っている人を好もしく思い、
有名人の場合には、その人が慣れ親しんだものであれば、
実用価値などまったくないものに、高価な値段が付くのです。
あるいは、見た目にはまったく同じコピー品であっても、
オリジナルであることに価値を感じるのも、本質主義なのです。

そしてこの本質とは、どこから来ているものかと言えば、
ここが面白いのですが、ギリシャ哲学のようにイデアではなく、
履歴から来ていると解き明かすところが、実に面目躍如なのです。
日本語では“本質”などと言葉遣いをするので、誤解しやすいけど、
あくまでも“エッセンス”は何かと考えると、見えてくる。
それぞれの人が大切に思うものには、履歴がついており、
この履歴があるから、他のものには代え難い価値があるのです。

著者のブルームが言うには、人間は子どもでさえ空想力に長けて、
いくつもの多重世界を器用に使い分けて生きており、これこそ、
人間を他の動物とは違う、推理や創造力を使える存在にしている。
映画やテレビを見て楽しむことが出来るのも、音や画像ではなく、
映像を作っている作者の意図を、自分も同様に楽しめるからであり、
優れて楽しめるためには、本質に満ちている必要があると同時に、
見る側にも同等の履歴理解がないと、伝わらないとも言うことです。

人間が無意識に持っているこうした事実に対して、著者は、
「心のどこかに、現実とわかっていることと
 想像とわかっていることの、違いに頓着しない部分がある」
と表現しており、この表現は本文中に何度も出てきますから、
全体を理解する上で、大きなキーワードになる考えだと思われます。
人間は楽しむにも悩むにも、多重世界の海を想像力で泳ぐわけで、
いかに楽しく、危険なく泳いでいくか考えるしかなさそうです。
 
 
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