日本的霊精の源泉
幼い頃に、新年の初詣と言えば高瀬神社で、
その後も神社と言えば、まずここが思い出されます。
越中一宮と言われるように、神社としての格式は高く、
昭和二十年の終戦時には、昭和天皇の勅使によって、
国民の幸を祈るための、御参拝があったとのこと。
だけど神社というのは不思議な場所で、その実情は、
宣伝されることもないので、知らないことが多い。
その後も神社と言えば、まずここが思い出されます。
越中一宮と言われるように、神社としての格式は高く、
昭和二十年の終戦時には、昭和天皇の勅使によって、
国民の幸を祈るための、御参拝があったとのこと。
だけど神社というのは不思議な場所で、その実情は、
宣伝されることもないので、知らないことが多い。
そう思っていたら、このたびこの高瀬神社の宮司が、
自ら高瀬神社のことをお話しくださる、と知ったので、
さっそく駆けつけて、聞かせていただきました。
社務所内の落ちついた会場で、テーブルについてまもなく、
藤井宮司が登場されて、気さくな感じで講演の開始です。
そこで配られた資料は、宮司が手書きされた原稿を、
コピーして束ねられたものだったので、まず驚きました。
みずからの手でもって書く、それだけのことでも、
現代人はさっさとワープロにして、労を惜しむのですが、
宮司はご自分で手書きされたものを、資料とされる。
これは普段から、自分で祝詞(のりと)を書いているから、
はじめて出来る労ではないか、と察せられました。
神社の職員には、どんな人が何人いるのか知りませんが、
会場のお世話をしてくださる人も、てきぱきと機敏でした。
神社のことは、知らないことが多いと言っても、
年間にこなさなければならない祭事は、たくさんあって、
誰も見ていなくても、決して欠かしたりしないと聞きます。
伊勢神宮や春日大社、出雲大社のようなところでは、
今でも毎日、神様への食物を献上し続けていると聞けば、
西洋の合理性とは違う、神々と人との繋がりを感じますし、
人もまた神聖な存在であることの、確信にもなるのです。
誰も見ていなくても、雨風嵐の日にも欠かすことなく、
ひたすら祭事をこなす精神こそ、日本人の清い心の源泉で、
世のため人のために働いて、神々との絆をつむぎ続ける。
まさにその原点として、高瀬神社では大国主命を祭り、
出雲大社や天皇家とも、深く繋がっていると言うことです。
お天道さまを大切にして、陰日向なく働く日本人の姿は、
収益性や合理性ではなく、神道に発しているのです。
実はこの大国主命は、よほどお人好しの神様のようで、
最初に越の地に来たときは、氷見に社を構えて周囲を支配し、
すぐれて豊かな国を営んでいた、という話があります。
ところがそれを妬んだ当事の朝廷が、国譲りの出雲の地に、
高天原にも届くような社殿を建てて暮らせばいい、と勧めて、
彼らを出雲に追いやり、豊かな越の国を支配したとか。
そして高瀬神社も、一時朝廷の荘園となっていたのです。