幻想的な朝
どのような幻想絵画も、自然界にヒントがないと、
イメージしにくいものだろう、とは思いますが、
見慣れた郊外の田園風景が、ここまで幻想的になると、
あらためて自然界の妙味と、美しさに感動しました。
この写真は7日の朝、井波から福光へ行く途中のもので、
携帯のちゃちなカメラで、撮ったものですから、
あまり精度はよくありませんが、雰囲気はわかるでしょう。
イメージしにくいものだろう、とは思いますが、
見慣れた郊外の田園風景が、ここまで幻想的になると、
あらためて自然界の妙味と、美しさに感動しました。
この写真は7日の朝、井波から福光へ行く途中のもので、
携帯のちゃちなカメラで、撮ったものですから、
あまり精度はよくありませんが、雰囲気はわかるでしょう。
自然界というのは、いのちそのものの姿ですから、
飽きることなく、千編変化を続けるわけですが、
その時々に、こうして驚くような美しさも見せてくれます。
思わず車を道脇に寄せて止め、車外へ出て景色を見回し、
ポケットにあった携帯で、シャッターを押しました。
山間の土地では、よく見受けられるような光景で、
地面すれすれに霧が周囲を覆う中、上の方は澄んでいる。
特にこの季節は、地面にはまだ雪が残っていますから、
その雪の上を、濃い霧が平たく広がっているところへ、
遠くの山や家が、浮かぶようにくっきりと見えているから、
何とも言えずに味わいがあって、美しさを醸し出します。
田舎暮らしをはじめてまもない頃は、まだ都会志向があって、
何をするにも、都会的な洗練さを尺度にもしましたが、
少しずつ田舎暮らしが長くなってくるに従って、心が浄化され、
最近では直線的な固さや消費文化に、魅力を感じなくなりました。
こう言うと、まったくお金を使わないのかと思う人もいますが、
もちろん税金も収めますし、インターネット代金も必要で、
車のガソリン代金も、お金で支払っているわけです。
それじゃ何が違うのかと言えば、まずは優先順位と方向性で、
経済のことを考えるよりも、いのちはどうありたいのかを考える。
ものを買って消費するよりは、いのちの繋がりの中で手に入れ、
みずからの五体と五感を活かすことで、生活を賄えるようにする。
そうしたことを日々少しずつやっていれば、結果は大きく違い、
人の在り方から、社会の姿までが変わってくると思うのです。