「神道〈いのち〉を伝える」

イメージ 1
 
日本に古くからある神道に、共感はあったのですが、
仏教のことを書いた僧侶の本は、数多く読んでいても、
神道のことを書いた神官の本はあまり読んでいません。
今思い出せるのは、鎌田東二さんの翁童論くらいですが、
あれはいかにも多くのことが書いてあって、難しい。
もう少し簡略に、正しく全体像が掴める本はないものか?
と思っていたら「神道〈いのち〉を伝える」に巡り会いました。

2年前に知り合って、氷見の気多神社を紹介してくれた女性が、
図書館で借りて読んだ本を、僕にも回してくれたのです。
「いのちとは何か」との、素朴な問い掛けから始まるこの本は、
あらゆる生命の循環そのものを〈いのち〉と呼ぶのですが、
特に日本人と神の関係において、いのちは重要な意味を持ちます。
筆者の葉室頼昭さんは春日大社宮司と同時に、形成外科医でもあり、
西洋医学の考えも知った上で、日本人の「いのち感」を語られる。

インタビュー形式で書かれている本ですが、問い掛けも興味深く、
神道とは何か、読んでいる内にわかるように書かれているのですが、
たとえ話もなかなか面白く、伝えたいことが伝わってきます。
たとえばお腹がすいた人が、パンを盗んで食べてしまった場合に、
これは泥棒だから警察に逮捕してもらう、との判断は正しいけど、
お腹がすいてかわいそうだから見逃す、との判断も正しい。
これはものごとを考える原点の大切さを、言っているのであり、
何を原点にものごとを考えるかが、重要だと伝えています。

そしてこの、何を原点にしてものごとを考えるかの原点として、
自然界の循環とバランスを話されるところは、まるで自然農です。
僕らは自然を師として、人間の生き方を考えたときに、
自然界の循環を壊さない、バランスの良い生き方として、
自然農を基本に、みんなの幸せを願って暮らしている感がある。
そして市民活動の基本である、社会で役割を持つということでは、
著者は、「働く」とはハタ(周囲)をラク(楽)にすることだと言う。
どちらも人を幸せにすることが、自分の幸せだと知っているのです。

神社でお祈りするときに、まず感謝の気持ちが大切なのも、
今自分がここに在ることの奇跡を感謝することで、次があるから、
より豊かな世界が広がると知る、この全体像が大切なのです。
春日大社では、年間に大小900くらいのお祭りがあって、
それらを昔から一回も欠かすことなく、続けているそうですが、
この継続性こそ、日本人の優れた特性だとも指摘されています。
神戸の震災で神社が崩れた朝にも、お日供というお祭りを奉仕した、
何があろうと欠かさない日課こそ、いのちの表現そのものなのです。

さらに天皇家のこと、お米のことなどが、意味から書かれていて、
読んでいると、今まで知らなかったことが次々にわかります。
美しいものを見て、善いものを知るには、我欲を捨てる必要がある、
と言う話も、この本の中では説得力を持って書かれているのです。
神とはどんなものか?と問いかけて、理屈でわからないことが、
我欲を捨てて身を清めることで、自然に見えてくるのもよくわかる。
さすがに春日大社宮司職にある人は、表現も的確ですね!

最後に日本民族について、著者が書かれていることもその通りで、
国際化だからと言って、日本人を諸外国に合わせるのは間違いであり、
それぞれ違う文化を持つ国々だからこそ、共生する意味もある。
この真理をよくわからないまま、かつての民族主義に陥ると、
日本文化だけが正しいと思い違いをして、諸外国を侵略までする。
諸外国を侵略するのも、諸外国のまねをするのも同じ過ちであって、
正しくは、それぞれの特性を活かして助け合うのが神道なのです。