最後のキウイヨーグルト
砺波市頼成の田畑のそばに、キウイフルーツの木があります。
秋の米収穫の時期に実がなって、そのまま長く落ちないのですが、
11月中には収穫してしばらく寝かせると、酸味が減って甘みが増す。
と言うわけで、毎年12月には実がなくなっているのですが、
去年はどういうわけか、収穫されない実がたくさん残っていました。
もったいないし美味しそうなので、20個ほどいただいて、
一ヶ月間家で寝かせたものを、今月になって食べました。
秋の米収穫の時期に実がなって、そのまま長く落ちないのですが、
11月中には収穫してしばらく寝かせると、酸味が減って甘みが増す。
と言うわけで、毎年12月には実がなくなっているのですが、
去年はどういうわけか、収穫されない実がたくさん残っていました。
もったいないし美味しそうなので、20個ほどいただいて、
一ヶ月間家で寝かせたものを、今月になって食べました。
そのまま食べても、適度な酸味があって美味しいのですが、
今年はヨーグルトに入れてみたら、なんだかいい感じで調和する。
これはいい!と思って、毎朝一つずつ自家製ヨーグルトで食べてきて、
いよいよ最後の一つをヨーグルトに入れたのが、この写真です。
フラッシュもない携帯電話のカメラなので、うまく撮れていませんが、
実際にはキウイの緑が、ヨーグルトの白とよく似合いますから、
見た目にも鮮やかで、味わいも甘すぎないからちょうどいい。
試しにこのあと、以前と同じブルーベリージャムで食べたら、
妙に甘ったるくて、やっぱり砂糖漬けなんだなあとがっかりしました。
僕はなるべく、砂糖類を食べないようにしているつもりなんですが、
お店で買う食材は、砂糖や塩が多すぎて味の濃いものが多い。
それを自然の食物と食べ比べると、いかにも甘かったりするのです。
現代では、酸っぱいはずの夏みかんさえ甘い時代ですから、
多くの人は知らずに大量の甘味を食し、太って当たり前でしょう。
僕はヨーグルトも自家製なので、砂糖などまったく使わずに、
天然の美味しいキウイヨーグルトを、食べることが出来るのです。
だけどこのキウイは、自分の木から取ったものではないので、
厳密に言えば、木の所有者から盗んだと言えるのかも知れません。
そういえば柿なんかも、この地方では収穫されないものが多いですね。
せっかくの実はもったいないから、食べたらいいと思うのですが、
お店から買ってくる人口味が好きな人の方が、多いようです。
土曜日のフォーラムの宮口先生も、言っておられましたが、
この砺波平野は、昔から衣食住に困らない豊かな地域であって、
さらに産業経済も発達して、誰もが何不自由ない暮らしをしている。
人が訪ねてくれば、食べ物を出してもてなすのは普通のことで、
特に農家の人たちは、お金などなくても豊かに暮らしていたのです。
ところが学校や新聞テレビで、お金のことばかり言うようになり、
農業をお金勘定で考え始めたから、幸せの歯車が狂ってきた。
人々は身の回りにある自然の食材よりも、買い物食を好み、
お金をたくさん支払うものが、豊かだと思い込み始めたのです。
そして身の回りの自然よりも、産業商品を豊かさの証だと思い込み、
自然を壊しても収入を増やしたい、狂気の時代が始まったのです。
その挙げ句の果てが、環境破壊や放射能汚染だったのですが、
すっかり洗脳された人たちは、何が問題なのかもわからないまま、
またお金経済さえ膨らめば、幸せになれるかのように思ってしまう。
まことに救いがたい勘違いですが、多くの人がその道を選べば、
さらに自然は破壊され、経済がどうあろうと人は不幸になるでしょう。
そうならないために、僕らはもっと身近にある自然の豊かさを大切にして、
不用意に経済を拡大させない、生活の変革が必要なのだと思います。
捨てるほどあるものは、捨てずに誰か必要としている人に分けて、
十分にはなくても、誰かが必要としているものは分かち合う。
経済拡大よりも自然と共生する、懐かしい新しさが重要なのです。